藍色の 創造の 渦となれ 2004 徳島

第二十八回全高総文祭徳島大会へようこそ

吉田 一彦

 今年度、私ども徳島県で開催することになりました第二十八回全国高等学校総合文化祭は、七月三十日から八月三日までの五日間、演劇をはじめとする十八の部門と協賛二部門において、各都道府県、各ブロックの代表校が徳島市、阿南市、鳴門市の各会場で、日頃の文化活動の成果を発表することになっています。
 徳島大会は、全国高等学校演劇大会としては、第五十回という記念すべき節目の大会となります。
 この五十年の世の中の変化は、社会的にも文化的にも、また、教育の分野においても、誰もが予想し得なかったほど大きなものであったと思います。そして、この全国高等学校演劇大会も、そのような変化と無縁ではなく、その時々にさまざまな葛藤や困難があり、それらを克服しつつ、まさに、数々のドラマを織りなしながら五十年の歴史を刻んできたことと思います。この間、高校演劇に情熱を傾け、その発展にご尽力くださいました皆さまに、心より敬意を表したいと存じます。 
 全高総文祭徳島大会のテーマは、「藍色の 創造の風 渦となれ 2004徳島」です。藍色・オーシャンブルーのようにすがすがしくたくましい若い力を結集し、感動に満ちたすばらしい舞台を創り上げ、2004年の徳島大会が、新たな演劇創造のエポックとなるように。そして、参加したすべての皆さんの心にいつまでも残る実り多い大会としよう。―演劇部門に即して、このテーマの意味するところを述べれば、このような願い、決意の込められた言葉ということになります。ご参加の皆さま方とともに、この記念すべき第五十回大会が、まさにそのような大会となるよう精一杯務めたいと思っております。
 ところで、昨年の福井大会の閉会式で、福井県から「次の開催県は徳島。近世を代表する戯曲作者、近松門左衛門の生誕の地である越前福井から、人形浄瑠璃を伝統文化としてはぐくんできた阿波の徳島にバトンタッチするというのも何かの縁。」といったご挨拶をいただきました。徳島は古くから芝居好きの土地柄で、県内のあちこちに農村舞台が残っています。ある調査によると、廃絶したものも含めると、全国に千九百二十一棟の農村舞台があったようですが、徳島がいちばん多く、二百四十棟もあったそうです。民衆の数少ない、そして大切な娯楽として阿波の人形浄瑠璃芝居がありました。わが徳島の演劇部員たちは、その芝居好きのDNAを最も強く受け継いでいる者たちなのかもしれません。県内では、今、農村舞台の復元や新たな文化活動の拠点としての活用方法について、組織的な研究と検討が活発に進められています。今、このような地域の文化活動への高校生の参加が求められており、高校生の文化活動の新しい展開も期待されています。
 少々、話が飛びますが、昨年十一月に公表された文化審議会国語分科会報告案「これからの時代に求められる国語力について」に、演劇に関する興味深い記述がありました。
 それは、社会の変化が進む中、多様で円滑なコミュニケーションを実現するための国語力を身につけることがこれまで以上に重要になってきている。学校の国語教育に演劇を取り入れ、「聞く」「話す」「読む」「書く」が有機的につながった授業を行うことで国語の運用能力を育成する必要がある、といった趣旨の指摘です。
 今後、こうした方向で国語教育が動いていくのではないかと予想されますが、それがさらに学校における演劇活動の一層の発展につながってほしいと期待しているところです。
 さて、演劇部門の開催される鳴門市は、人口約六万五千人の町で、古くから、大阪や兵庫、淡路と結ぶ交通の要所として、また、渦潮に代表される景勝の地として多くの人が訪れ発展してきた町です。 市内には、特色のある文化施設も多く、世界的人類学者、鳥居龍蔵の記念博物館、大正デモクラシーの先頭に立ち、さまざまな社会運動の指導者として活躍した賀川豊彦の記念館、原寸大の陶板の名画千余点を展示した大塚国際美術館、鳴門市が、日本におけるベートーベンの「第九」初演の地であることを証すドイツ館、四国巡礼八十八カ所の一番札所霊仙寺などがあります。近年、若い歩き遍路の姿をずいぶん見かけるようになりました。時間にゆとりがあれば、ぜひそうした鳴門の歴史や文化、自然などにもふれていただきたいと思います。
 ところで、遍路を迎える四国の街道筋では地元の人々が、遍路をあたたかくもてなす「お接待」と呼ばれる慣行があり、これは、現在も行われています。
 徳島大会開催に向けて、万全の準備を心がけてきたつもりですが、人的物的制約もあり、ご不便をおかけすることがあるかもしれません。そこは、芝居好きのDNAを受けた地元実行委員や関係者、運営スタッフの演劇にかける熱意と「お接待」の心で補いながら、ぜひ徳島大会を成功させたいと思っています。皆さまのご支援とご協力をお願いいたします。
  (徳島県高文連演劇部会長)


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劇 的徳島論序説

田上 二郎

 わが故郷を、前々からどこに出しても恥ずかしい土地と思っていましたが、全国大会が近づくにつれて、視点を変えれば、徳島は劇的で面白い場所ではないかと、考えを改めるようになりました。
 新潟に嫁いだ叔母は、北陸で暮らすようになって初めて、南国人の気性の激しさ、思ったことをずけずけと言ってしまう正直さに気づいたと言っておりました。雪国では、かつて長い冬の間一つ屋根の下で過ごしてきたので、徳島人みたいに言いたいことを言い合っていたのでは暮らしていけなかったのだろうとも。そう言えば、福井大会でお世話になった向井さん川村さんの暖かさ忍耐強さが、北陸人気質ということでしょうか。
 徳島の指導者で一番有名なM先生は、数年前、脚本づくりについて勉強する集まりで、阿波高校がゴミ問題を扱った脚本を書いてきた時に「この脚本そのものがゴミじゃ。」とおっしゃいました。それでも阿波高の部員たちは、是非M先生に練習を見に来てほしいと言い、その後M先生が養護学校の分校を率いて四国大会に進出し、見事最優秀となり全国大会出場を決めた時、帰りのサービスエリアで先生を胴上げしたという話。激辛で鳴るM先生の目に涙が光っていたとも。実に徳島らしい展開。
 一昨年私が書いた「よみがえる山形」が四国大会で上演された時、今時の生徒が署名運動などやるのかと疑問を持つ方がいました。しかし私が前に居た学校では、問題を起こした教員を懲戒免職から救おうと、生徒が署名運動を始め、三日で全校生徒二百九十人中の二百三十人分の署名を集め、県教委に提出したという事例があります。実に徳島らしい劇的現実。
 ところでこれも作り話ではありません。ちょうど全国大会が始まった五十年前、私の父は城東高校演劇部の部長、母は小松島高校演劇部の部長でした。何かの会合で徳島城公園に部長たちが集まった時、城南演劇部には、現在劇団「樹間舎」主宰の高津住男氏と、写真家の立木義浩氏が居たそうです。その後父母は徳島で初めてのアマチュア劇団結成に参加し、活動途中で、早稲田の学生だった父の下宿に母も同棲するようになったのです。神田川の近くの四畳半で。父が母に贈った「スタニスラフスキイ・システム教科書」は、現在私の書架にあります。私が小学校低学年の時、母は枕元で加藤道夫の「挿話(エピソード)」を読んでくれたものです。父と母が高校演劇という場所で出会ってから五十年後の今、私がここでこうしていることの必然は、DNAの問題よりも、運命の巡り合わせと言うよりも、プロットの構成上そうなったと見てやるべきなのでしょう。
 今年、全国大会を迎えるに当たって、県内各校演劇部が新入部員獲得に全力を注ぎました。運営に要する人数が全く足りないからです。そんな中で、ある学校の新入部員が、入部間もなくして、やっぱりやめると言い出しました。理由は「他の部ならどこに入ってもかまわないが、演劇だけはやめておきなさい。」と家族に強く止められたとのこと。ああ、何と徳島らしい。しかしそうであっても、麦は踏まれれば踏まれるほど強く育つことを思い知らせてやらねば。
 全国大会が半世紀目を迎えた今年、日本中の高校演劇を愛し、高校演劇を支えて来た仲間たちが、この対立と葛藤、成長の渦巻く劇的な土地に結集することも何かの縁かと思います。願わくば次の半世紀を、全国の仲間たちの力で、更に良い時代にして行けるよう、勇気と情熱を確かめられる、熱い大会として徳島大会を実現できるよう、私たちは奮闘して行く覚悟でおります。
  (徳島県立城東高等学校)