ひたむきに 「自分探し」―感動的な徳島大会―
大谷 駿雄
徳島大会は、台風十号の直撃を受けて2日目ができず3日目に7校の上演をするという変則的な形となったが、大会運営にあたった徳島県と全国事務局の適切な対応で充実した立派な大会となった。
また、ブロック代表だけあってどの作品も等身大の高校生が生き生きと表現されており、感動を与えてくれ、どれもが優れた舞台ばかりで水準の高い大会であった。 今大会の特色は、10校が学校を舞台にした作品で、いじめ、不登校、進学、友情から自殺や出産など高校生のまわりにおこる多彩な問題を取り上げていた。まさに、学校が社会を反映した鏡であることがわかる。特に、母子家庭の生徒を扱った作品が多かったが、今の日本の現状を示しているのだろうか。
今大会から、優れたスッタフに与えられる舞台美術賞が設けられ、作新学院高校が受賞したが、演劇は総合芸術であり、スタッフの力を大切にすることは、部活動としての高校演劇であるという意味かから大いに賛成である。
また、ほとんどの作品が、ひたむきに「自分探し」に苦闘している高校生を描いていたが、やや自己陶酔しているように感じた。
その原因の一つに、等質な高校生だけの世界、つまり学校を舞台にしていることにある。もっと外に出て呼吸している若者たちを描けないのかと不満を感じた。
「飛び人〜とびびと」(大谷高)は、生徒創作らしい皆で創り上げたのが伝わってくる舞台だった。熱演だが、早口で言葉が不明瞭、しかも動きも大げさで類型的で、元気だが騒々しいだけの舞台になり、軽薄さを表現したかったのだろうが観客には伝わらなかった。カリカチュアされた先生が面白かった。生徒の鋭い視点があるからだろう。パネルが白いのは疑問だ。(主人公の服も白かったので)
「チキン・カレー」(網走南ヶ丘高)は、祖母の「おいしいよ」が、静かな幕切れで感動的でした。カレーのレシピを教えるだけなのだが祖母の生きかたが伝わってくる。ホームヘルパーが強引にじゃがいもを入れようとすると、祖母が「えりか、たすけて」という場面は、料理の問題が思想を語るものとなっており秀逸であった。車椅子の祖母が存在感のある演技で作品を支えていた。
「 正義の人」(作新学院高)は、正義感の強い高校生と、それを温かく見守る大人たちを中心にした集団演技が生き生きとしており、スタッフ・キャストのアンサンブルがとれた、高校生の躍動感溢れる心温まる作品となっていた。
高校演劇では大人役は難しいものだが、担任や母などがしっかりした演技で舞台を引き締め、特に生徒指導の先生@が人間の陰影を的確に表現しており、好演だった。「お前の純粋さをうらやましく思う。と同時に傲慢さを憎いとも思う」と語る先生のやさしさが観客に伝わった。
「幽霊部員はここにいる」(徳島城東高)は、部活動をさぼっている部員が「やる気」を出すところがはっきり観客に伝わらない。事件がおきないため、話だけが続くのではドラマが生まれない。舞台に大きな赤い鎖があり、観客は期待していたが一度だけ劇中劇で小道具として使われただけだった。
また、部員であった幽霊たちは、様式化された動きをしていたが、もっとのびのびと演技したほうが面白かったのではないか。
「Is-アイズ」(都立駒場高)は、劇中劇の「リア王」のコーデリアと主人公サチの悩みが繋がらない。5人の私が前半騒々しいだけで混乱していたが、後半は役割を果たした。柏崎たち男子が登場すると舞台は引き締まりドラマが厚みを増す。ひたむきに自分探しを続けるサチは共感を呼んだが、義理の兄が絡むなど内容を盛り込み過ぎた。ケータイが心のメールとして重要になったことを教えられた舞台だった。
「おばあちゃんのボタン」(広島市立美鈴が丘高)は、今の高校生の視点で広島被爆を考えた作品であり、素直で説得力があった。明るくてしっかり者のおばあちゃんが、いい。どうも高校生は老女が得意のようだが、肝心の高校生が類型的な表現だったのは残念。
「ライアー!ライアー!ライアー!」(滝高)は、嘘をつくことで相手を傷つけないようにしている「やさしいクラス」が引き起こす寓話である。現代を風刺した作品となっており、11名の生徒たちがそれぞれ個性を生かし「嘘つきクラス」をチームワークのとれた演技で表現していた。最後まで悪意を押し通したエネルギーがほしかった、残念ながら後半まとめようと説明をしたため、幕切れが弱くなってしまった。嘘と真実について高校生の日常から衝いた楽しい舞台だった。
「子供の子供と子供たち」(徳島阿波高)は、高校生が子供を産む話である。堂々と愛と性と出産をドラマの軸におき高校生の生き方を問う姿勢には賛成だが、肝心の産もうとする高校生の苦悩が観客に伝わってこない。心配する担任は、過去の陰影を的確に演じてドラマを引っ張っていた。しかし作劇のうえで安易さを感じた。 立派な装置だが、中央の教室が昼食をとるだけでは勿体ない、上手のトイレと下手の教科準備室で主に演技が行われていた。
「扉の向こうに」(東根工業高)は、高校生の等身大の心情が伝わってくる作品であった。学校の片隅の物置小屋に、野球部をやめた3人が授業をさぼりたむろしている。体育の授業で元気に走る生徒たちで始まる幕開きから一転してガラクタ小屋でふざけて騒ぐ3人の世界が軽妙に展開して、自分探しに苦悩する高校生が自然に浮かび上がってきた。だが、晃が扉の向こうに歩き出すきっかけとなったのが何なのかがもう一つ観客にわからなかった。業務員トメさんの話となると弱いのではないか。
「ロック」(法政二高)は、ダンス部を舞台にした部活動の苦闘をダンス表現を通して描いた躍動感溢れる作品だった。男子高校生らしく荒っぽく行動的な展開は、若者でなければ表現できない世界を創り出していた。ロックダンスなるものにチャレンジしていく姿が爽やかで気持ちがいい。
人物の描き方が不明瞭なところがあるが、演劇部くずれのアミがドラマの核になっており、幕切れの「恐いの」と言われて手を指しだすアミの姿が生きていた。
「てんぷら」(池田高)は、前に上演された「たんぽぽとかずのこ」を下敷きした作品で、心のひだをていねいに掬い取る舞台になっていた。しかし、ボール箱の扱い方が安易でもう少し工夫できた。幕切れはむずかしいものだが、転校する智子が泣き出してしまったのでは感動が弱くなった。
どの作品も、大切に丁寧に創りあげてきたのが舞台から伝わってきて、高校演劇の素晴らしさを満喫した3日間でした。
(全国高校演劇協議会顧問)