劇的徳島論あとがき
              田上 二郎

 今これを書いているのが、八月三十日。二学期制の城東高校ですが生徒は来ておらず、時間ができたので書いています。そうです。また台風が来て休校なのです。

 私的な話で申し訳ありませんが、私が共通一次試験を受けた時、初日に徳島で十五年ぶりの大雪が降りました。会場の徳島大学まで何とか自転車で一時間かけて到着したものの、開始が一時間半遅れ、暖房が入ってない教室で待たされました。で、二日目は三十九度の発熱。私は私立大学へと進学し、三口の奨学金とアルバイトとで死ぬような思いをしながら5年かけて卒業しました。人生の、ここぞという時には、決まってこのようなことが起こります。

 ある人が、間違いなく史上最低の大会になると予言していた徳島大会でしたが、むしろ台風が来たから仕方がなかったと言い訳ができたのかも知れません。詳しくは書けませんが、準備段階からほとんど信じられないような悲惨な状況の連続でした。いくら自分たちなりに最大限努力しても、この土地では常に逆風が吹き荒れているのです。台風、あれは一つの象徴です。台風の中で何とかかんとか最後まで終わらせることができたのも、また象徴なのかも知れませんが。

 子供たちは大人ほどタフではなかったようで、城東の舞台はひどい代物でした。四国代表として、特に四国の加盟校の皆様に対して責任を果たすことができず、たいへん申し訳なかったと思います。

 それから、最終日に日程変更が伝わらず、9時半をめがけて来られたお客様を、上演中につきホール内にお入れ出来ませんでした。一度決めた公平なルールで十一校の上演を実現するのが、運営側の姿勢として基本となるべきだと、信念は今でも変わりませんが、遠方おいでの方々の思いを想像するに、たいへん申し訳なかったといつまでも心に引っかかっております。

 五十回記念大会、台風来襲、コーチの参加、生徒講評委員会を実施せず、内木名誉会長の講師兼審査員、引退顧問ダブル東京進出、それから実行委員長の二本出し。いろいろと記憶のよすがとなる材料だけは豊富でしょうが、全国高校演劇大会が、何とか最弱の土地を通過してくれて、あと五十年くらいは危険な土地徳島に近寄らないと思うと、とりあえずほっとしているというのが本音です。

 最後になりましたが、全国の役員の方々、高校演劇の諸先輩方、先催県の皆様方、その他の関係者の皆様方には、本当にいろいろとお世話になりました。心より御礼申し上げます。今回私は、日本のいろいろな土地に愛着を覚えるようになりました。福岡、神奈川、福井は言うに及ばず、大会を通してお知り合いになることができた方々が暮らしている土地についてであります。そして青森。青森のことを思うと今からわくわくします。青森大会が、高校演劇の次の半世紀を切り開く、すばらしい大会になりますことを心よりお祈り申し上げます。来年はきっとまた青森で、八戸でお会いしましょう。
               (徳島県高等学校演劇協議会事務局長 徳島県立城東高等学校)