青森の夏は短い。それゆえか、青森県人は、刹那的に夏に興じる。青森のねぶた祭、八戸の三社大祭など、夏のまばゆさを惜しみ、蓄積させたエネルギーを発散させる。今年の夏には熱気あふれる高校演劇が加わり、青森の夏はさらに燃える。
青森での全国大会は二度目である。先人から脈々と築かれた本県高校演劇の伝統は、たしかに今に引き継がれ、その無形の財産はいつも私達に勇気を与えてくれる。青森にはそういう土壌がある。高校演劇の変遷はいつも青森と交錯し、最近でも青森中央高校『生徒総会』、三本木高校『贋作 マクベス』と話題をさらってきた。劇的空間は青森にこそある。
私の母校には、二人の先輩がいる。一人は太宰治であり、もう一人は寺山修司である。青森で高校生活を送る少年少女達は、何らかの形でその名にふれる。高校一年の時である。書道の授業に担当の宮川武弘(翠雨)先生がなかなか顔を出さない。母に国語を教えて下さったこともあり、親子二代で可愛がっていただいた先生で、書家として高名であった。級友に急かされ、準備室を覗くと、先生の肩越しに浅黒い顔色の男性が見えた。寺山修司だった。すでに伝説となっていた寺山は、想像していた繊細なイメージとは異なり、精悍な感じがした。教員生活最後の年を迎えていた先生は、楽しそうに彼と談笑していた。後に先生は彼に俳句の手ほどきをしたと教えてくれた。その日以来、苦手だった書道の時間になると、胸躍った。興奮した少年は、寺山修司に手紙を書く。やがて、J・A・シーザー氏から励ましの言葉が添えられた演劇実験室『天井桟敷』の公演案内がしっかり印刷されたはがきが届く(笑)。それでも、純粋に嬉しかった。何度も何度もその文面を見直した。そして、その少年は演劇、映画、美術、音楽とあらゆる分野に好奇心を向けるようになる。あの瞬間、少年は確実に芸術への扉に手を触れたのである。今、このような立場で全国大会を迎えるにあたり、まぶしかったあの時代を妙に思い出す。
時間と空間、事実と虚構、親と子という普遍的なテーマを追い求めていた偉大なる演劇人は自らを「青春扇動業」と称していた。実に寺山らしい惹句であるが、舞台を通して、観客に沸き立つような想いを抱かせるのが「青春扇動業」ならば、高校生と共に舞台に関われる私たちも、ある意味では「青春扇動業」だと自負してもいいのかもしれない。
さて、青森県の演劇部は、四地区に分かれている。東青地区・中南西北地区は青森市で行われる総合開会式の舞台づくりに追われているため、演劇は三八地区・二北地区の顧問、部員が中心になって準備を進めてきた。『沸き立つ想いを舞台へ 繋げ合う心を未来へ』というスローガンは私たちの心を素直に表現し、快い響きをもっている。このスローガンのように、海と太陽のまち八戸で、高校演劇を心から愛する仲間達が一堂に会し、活発な交流が出来ることを願って止まない。
思えば、一昨年の福井大会の前から始まった全国大会狂騒曲は間もなくクライマックスを迎える。その間、紆余曲折はあったにしろ、各ブロックから推薦された11校が実力を十二分に発揮できる環境は整ったように思う。これまで様々な場面でお力添えをいただいた全国の高校演劇関係者の方々には感謝の気持ちで一杯である。
今、夢舞台の幕が開く。この舞台を踏める幸せな代表校が、観客と緊密な時間を共有し、爽やかな風を感じさせるような空間を創り上げてくれることを信じている。
(第51回青森大会実行委員長 青森県高等学校文化連盟演劇部委員長 青森明の星高等学校)