分 科 会
第一分科会

演 出 演 技 

  講師  前田 司郎
扇田 昭彦

第二分科会

舞 台 美 術

講師 高田 一郎 

 第一分科会は「演技・演出」について、前田司朗氏と扇田昭彦氏に担当して頂きました。主に前田氏によるワークショップ形式で参加者の中から数人を舞台に上げて様々な状況を作り出し演出・演技の実際を体験的に知るというもので、会場も度々爆笑するような楽しい講習会となり、最後は扇田氏にまとめをして頂きました。全ての内容を伝えることができたらよいのですが、紙面の都合もあり前田氏のワークショップの一部をまとめてみました。

 まず、最初に前田氏から今日は今まで勘でやっていたことを論理的に考えてみようというのがこの講習会の目的であると説明されました。例えば舞台の上で人が刺されても嘘だと思う。舞台上で起こっていることは全て嘘だと思い、現実に起こっていることは全て本当だと思って生活している。当たり前のことだが意外とそのことが自覚されていない。何となく当たり前のことのようにやっていることにも理由があったり、よく考えると不思議だったりすることを実際に舞台に上がってもらい考えてもらおうということでした。

〔状況を変化させる〕

 まず、初めのグループでは電車の中でH君がオシッコを我慢しているという状況で電車の中の会話をしてもらう。その時に離れて座っている二人が会話をしている。二人が何となく声のヴォリュームを落としていたことの理由が客席には分かりにくい。そこで、最初は大きな声で二人が会話をしている。そこに、H君の隣にいる少し怖そうな人が注意するとヴォリュームを落とすという設定にすると理由が分かりやすくなる。つまり、最初の状況があって、次に状況が変化するとお客さんはその変化の中から理由を読みとることができる。大勢出てくるお芝居では、そうやって状況がどんどん変化してくるとお客さんも楽しくなる。

〔状況を強調する〕

 次のグループは電車の中の五人でデスノートの話をする、その中でT君がやはりオシッコを我慢するという設定で演技をしてもらう。ここで前田氏は嘘があることを指摘されました。それはT君が本当にオシッコを我慢していないということです。ここでオシッコを漏らしてしまったらT君の高校生活は終わりだという切実さが足りない。では、そのことを強調するとどうなるか。T君は隣りに座っているTさんにかなりホの字で、普段は男子二人と女子三人が別々に帰っているのだが、今日は偶然五人が電車で一緒になってT君にとってはチャンスだと思っている。

 学校から電車に乗るまでにオシッコに行きたかったが、ここで離れるとチャンスがなくなると思ってT君は食らいついて行ったためにこの電車の中で限界を迎えることになる。これでさっきよりもオシッコを漏らすことのリスクが大きくなった。それは高校生活とともに恋も失ってしまうことになるから。

〔演技の再現は難しい〕

 全く同じ状況設定で、全く同じことを再現してもらう。するとオシッコを我慢しているT君の様子が明らかにおかしいのにみんなが無視をしている。さっきと同じことをするように縛りをかけていなかったらみんな当然気づいていたのに、同じことをやれといわれたのでできなかった。このことは、台本というルールがあり、それに沿った芝居をしなければならないため、当然気づくことにも気づかないでいるということがよく起きるのと同じです。お客さんの多くはそのことに気づいているのに、舞台上の人間がそのことを無視してしまうとお客さんの注意が削がれてしまい、お芝居に対する集中力が壊れてしまう。演技を再現することは難しい。

〔舞台上の飛躍〕 

 T君がオシッコを我慢していないふりをしている間はまだ我慢できるように思えますが、これはあと数分後または数十秒後に限界がきてしまうかもという時には最初にちょっとばらしておいた方がリスクが低くなる。途中でこいつはどこか変だと周囲に心配させて落とした方が楽だから。しかし、言葉を使って伝えるのは簡単だがそれでは面白くないので、舞台の嘘として、突然、特別な行動をする。お客さんになんでだろうと思わせて、後でネタばらしをする。そこでT君はもう駄目だと思ったら眼鏡を床に置くという突拍子もない行動をする。お客さんは何で眼鏡を置くのか分からない。日常生活では眼鏡を床に置くことはない。しかし、日常生活から少し飛躍することで、その飛躍に説得力を持たせることが重要で面白い。

〔その他〕

*大きい声を出す訓練は小さい声から大きい声まで出せるという幅を広げることであって、大きい声を出せばいいというものではない。話すスピードも一定ではなく緩急をつければもっと表現力の幅はひろがる。

*正解を一つと考えないでバリエーションの中から選ぶというふうに考えると表現が変わる。

 前田氏は次から次へと人も状況も変化させながら演出・演技の実際を分かりやすく、楽しく教えてくれました。笑いの絶えない本当に楽しい講習会でした。

(文責 京都府立鴨沂高等学校
松 本 徹)

一.どのようにして舞台美術を作り上げるのか

・舞台美術は他の美術のように、単独で作り上げていくものではない。作品について考え、演出家と相談し、多くの人とのチームワークを大切にして決めるものである。

・以下、大切な点を三つ挙げる。

▼アイデア
・すぐれたアイデアを考える作業が一番難しい。

・ただ美術的にりっぱだ、完成しているということではなく、その戯曲・演出にふさわしいものであることが大切。絵画的によくても、作品にふさわしくなければ何の役にも立たない。かえって場違いな感じを与える結果になる。

▼空間
・空間こそ現代の舞台美術で一番意識されねばならないものである。

・空間を考え、作り上げるのが舞台美術家の仕事の本質。部屋ひとつとってみても、人が大勢いるときと、無人の時とでは違う空間になる。机上に花が一輪あるだけでも空間は変わる。お茶会の時にも、どんな掛け軸を掛け、どんな花を活けるかで空間の雰囲気は変わる。涼しげな感じ、親しげな感じなど、さまざまな印象が演出される。

・空間は平面でなく、立体的なものなので、それ相応のセンスや工夫が必要になってくる。

・芝居を作る時に、どの役の人がどこから出てくるかを考えることが大切。その際、舞台の奥行きを意識し、俳優の動きを考える。

▼アイデアスケッチ等
・演出家と相談してアイデアスケッチを作る。言葉で説明するのではなく、絵にして具体的に説明する。また、舞台模型を作って立体的に空間を示す。平面的な図ではわからなかった点が、模型を作ることによってわかってくる。

・舞台装置は大道具の会社に作ってもらうと、常識的な、一様なものになりがちである。自分たちで作ると、常識では考えられないおもしろい装置が作れる場合がある。

二.各校の舞台について

▼ 埼玉県立秩父農工科学高等学校
・自分たちで歩き回って拾ったものを使った舞台ではないか。ベンチや脚立などごちゃごちゃしたものを使ってくみ上げた舞台(我々の現代世界のありよう、混沌を表現していた)に味わいがあった。

・真ん中にマネキンがあり、最初にそれにライトが当たり徐々に舞台が見える仕組みもおもしろい。

・下手側の電柱が別役実の作品世界を象徴していた。

・マネキンに紙を貼るなどして加工してある所に、演劇部の思い、一生懸命作った様子が見て取れた。

▼ 山梨県立甲府昭和高等学校
・組み合わせがよい。成功した例。

・幕開きでは装置が無く黒幕だけで、何だろうと思わせておいて、バケツとモップを持った生徒が現れ、ワックスがけのシーンになった。モップ立てが現れることで、床の間に一輪の花を活けるように、空間を引き締めた。

・いつもは何気なく見過ごすステージの床が、舞台装置の主役になっており、おもしろかった。

・黒い背景に、白いシャツと黒いパンツの清楚な服装が映えていた。

▼ 東京都立八王子東高等学校
・黒幕だけの構成で、そこに赤いランドセルの生徒が駆け回って、空間を作っていた。

・鉛筆が大きく作ってあることで、普通とは違う空間であるということが印象づけられていた。

・赤いランドセルを床に積み上げることで、空間をよく引き締めていた。人物の配置やライトの効果についても、よく考えられていた。

▼ 島根県立三刀屋高等学校
・紅白の幕が白黒の幕になった。白い部分だけ壁にして赤の幕の前に立ててあり、赤の幕を黒幕に変えると、黒白の幕になった。非常におもしろいアイデアであった。

・芝居を見て内容がわかるとなるほどと思わせる、作品に合致した装置であった。

・俳優を上下に並べて作ったシーンは、舞台が空間であることをよく意識させる例となっていた。

▼ 滝川第二高等学校
・舞台の上にもう一つ台を作っていた(二重舞台)。このことで、舞台の上だけでは前後左右に広がっていってしまう空間をうまく限定していた。

・舞台装置で時代と場所を表すには、調査する必要がある。寄席で背後に障子を使った点、歌舞伎の幕が演芸場にある点はいかがなものか。感覚的にはおもしろいが。

・演目を表す書体も時代や場の雰囲気を表す。調査・研究が必要。

・漫才師の家は、アットホームな雰囲気が出るよう工夫されていた。

・ラストのシルエットによって、障子の必然性がよくわかった。現代ではこのように、明かりの効果が積極的に取り入れられている。

▼ 福岡市立福翔高等学校
・「木」という作品にふさわしく、教室の壁も木が使ってあった点に、工夫の跡がうかがわれた。

・窓の外に廊下があり、その向こうにまた窓があった。奥行きをよく感じさせるよう、努力していた。

・木がスライドで大映しになるシーンについては、デリケートな色を使い生徒たちの未来を象徴していてよいという意見と、木の生長した姿は観客の想像力に任せた方がよいという意見があった。 

▼ 北海道釧路北陽高等学校
・大きなグランドピアノが置いてあり、空間を引き締めていた。また、そのピアノを実際にうまく弾くことで、観客を感動させていた。

・机が並んでいるシーンでは、きちんと並べず、あえてもっと自由に並べることで、作品にふさわしいイメージになったのでは。

▼ 同志社高等学校
・なかなかよい雰囲気が出ていた。

・犬のぬいぐるみや机上の首も効果的に使われていた。

・窓の外の木を役者が取り替えることで、演劇のおもしろさをよく表現していた。タイトルの「ひととせ」によく合致していた。

・重要なドアをあえて置かず、無対象で芝居をしていた点も、演劇のおもしろさが表現されていて、ユニークな演出であった。

▼ 徳島県立城西高等学校
・舞台を自由に使い運動会の雰囲気を表現し、おもしろい空間を作り上げていた。

・丸いボール紙の筒が大砲を象徴していておもしろかった。その下にあった日本の旗も効果的。

▼ 青森県立青森中央高等学校
・文字のレタリングが、よく神経を使って描かれていた。劇の内容に合わせた書体になっていた。

・小道具だけでも学校という空間は作り上げられるという、よい例であった。

・採決を取るところでは、上手下手の位置関係を生かし、視覚的にうまく表現されていた。

▼ 愛知高等学校
・壁に額などの飾りが無く、白い壁だけで、シンプルな装置であった。(どの程度の飾りを設置すべきかは、脚本の内容による。)

・事務所から病院へと転換するところに、アイデアが巧みに生かされていた。

・多くのろうそくの灯っているシーンは、努力の跡がうかがわれた。

(文責 京都市立塔南高校
坂 根  功)

第三分科会 ワークショップ

自分の中から  

魅力ある人物を

生み出す方

  

講師 高泉 淳子 

第四分科会

部活動としての高校演劇

  講師    川口 多加 
(浜松海の星高校)

高橋  茂 
(愛知県滝学園)

山内 一昭 
(高知県立安芸桜ヶ丘高校)

(この報告は、後日先生よりお送りいただいた資料からの引用を随所に交えたものであることを、最初にお断りしておきます。)

 先生のにこやかな笑顔でワークショップがスタートしました。お話の要旨は・・・

☆存在感のある役者になるために

 テクニックを身につけただけでは魅力ある表現者にはなれない。上手くてもみんなと同じ上手さではダメ。「魅力ある人物」とは、「その役者にしかない身体を使って、その役者にしかないニュアンスで、生きた言葉を伝えられる」人物である。そのような人物を生み出すには、「自分にしかない身体を使って、その身体を通して出てくる自分にしかない声を使って、自分にしかできないニュアンスを探り出す」作業を通して、オリジナリティーを生み出していかねばならない。そのためにまず、人と違う自分を探す、すなわち自分のパーソナリティー(人格、人間性、個性、人柄)を知ることから始める。具体的には、スケッチブックを用意し、

1. 自分のくせ、自分のこだわり、自分にしかない何かを書き出す。(例〜耳の穴をほじりながら話す癖がある。今興味のあることは・・・だ。)

2. 「なりたい人物」のプロフィールを詳細に書く。嘘の名前、年齢、職業、顔つき、好みの服装(服装は特に詳しく)、身につけるもの、持つもの、元気になること、好きな歌、好きな歌手、趣味など。詳しく書き出すことで、だんだんその人物が見えてくる。スケッチブックは一人の人物を生み出すまでの「創作ブック」である。

 お話に続いてレッスン。全員立ち上がって、まずは立ち方から。

☆立ち方のレベル

レベル0 普通にすっと立つ

レベル1 ちょっと意識して立つ

レベル2 おしりをキュッと締め

てまっすぐに立つ

役者はレベル2からスタート。

☆台詞から人物をイメージする

1. 参加者が数列に並び、一つの長いモノローグをいくつかに区切ったものを列ごとに受け持って読む。「いかにも」な台詞らしく読まず、普通に読む。一つの列から次の列へと台詞を引き継いでいく。(前の列の受け持ち部分の終わりを次の列が引き取って一緒に読み始め、全体を一つの台詞にする。)読みながら全員で一人の人物のイメージをふくらませていく。台詞の中の一人称は、男は「僕」、女は「私」と読んでいい。自分の列以外の列の受け持ち部分も、一緒に読んでいる気持ちを持つ。

2. 「ごく普通の、どこにでもいる平凡な○○○で、×××に勤めています。△△△だって好きです。」という台詞の○×△の部分に自由に言葉をあてはめ、好きな年齢の、自分とは違う人物になって一人ずつ言う。

 このレッスン1.2.は、参加者の人数が多かったことと時間が短かったことで、内容は理解できたものの、実感としてつかめるまでには至りませんでした。

☆身体を意識する

 列を作り、横に並んで、決められた簡単な動作を繰り返しながら、BGMにあわせて前進する。BGMの曲調は動きにあわせて変える。視線はまっすぐ前に保ち、下を見ない。列を意識し、きちんと集中して列を乱さない。

ア、後ろに深く曲げた足(おしりにつくくらい)を前へ蹴り出す。手は自然に下へ。

イ、足を蹴り出す方向を斜め前へ。手は後ろ。

ウ、足を伸ばしたまま高く蹴り上げる。手は後ろ。

エ、手のひらを頭の上であわせ、肘を横に張り、首を前後に動かしながら歩く。

オ、手は後ろに組み、1右足を大きく前に踏み込む。このとき「アー」と声を出す。2左足を半歩前で軽く踏む。3右足を半歩後ろへ戻して軽く踏む。4左足を半歩前で軽く踏む。(左足が前へ大きく踏み込んだ右足に自然についていくように。)

カ、1左を前にして横を向き、左足を大きく踏み出す。2右足はとても重いというイメージをもって、両手で抱えて左足のところまで引きずって揃える。そのとき自然に声を出す。

 このレッスンでは、何度も繰り返しやっているうちに、自分の身体や他人の身体を意識し、その意識することに集中するレベルが次第に高まるのが感じられました。高泉先生は参加者に高いレベルの集中力を厳しく要求されました。

☆言葉は身体から生み出される

 「今大会の上演作品の中の台詞にも、いい言葉なのに記号にしか聞こえないものがあった。」というお話のあとで。

 言葉は身体から遊離して出てくるものではないから、言葉にあう身体をつくるということを、具体的に確かめるレッスン。

1. 参加者に次のハムレットの台詞を読ませる。

「ああ、堅い堅いこの体、いっそ溶けて崩れ、露になってしまえばいい。

 ああ、神よ、神よ! この世のいとなみの一切が無価値で、陳腐で、凡庸に思えてならない。」

2. 台詞を読む参加者の足を他の参加者3人に抑えさせたまま読ませる。

3. 少し離れた場所に立たせた参加者のところへ、足を抑えられたまま近づこうとしながら、台詞を言わせる。観客になっている他の参加者も一緒に台詞を言う。

 実際に足の重さと進む方向をきちんと意識した身体から生み出される言葉は、身体を意識せずに発せられた言葉(1.)とは、まったく違うものとなりました。

 レッスンの途中で、高泉先生が、「役者は嘘つきにならなければいけない。」とおっしゃったのですが、私たちが普段の劇づくりの過程で、「きちんと嘘をつくこと」を実践しているだろうかと考えさせられるワークショップでした。特に、私たちの身体においてきちんと嘘がつき切れているか、またそのために必要なていねいな確認作業を怠ってはいないかということを、参加者一人一人がそれぞれの毎日の活動の場へ持ち帰るいい機会になったと思います。

 高泉先生は、二十歳過ぎから演劇を始め、「自分にしかできないものを作ろう」と試行錯誤し、自分ならではの独特のニュアンスのある魅力的な人物像づくりに苦労された体験を、熱く語ってくださいました。言葉だけでなく、ワークショップで指導されている先生の身体や声からも、魅力的な「独特のニュアンス」がにじみ出ていて、先生が伝えようとされた「自分というフィルターを通して独自の人物を生み出すこと」を、十分に感じ取ることができました。

 また、「魅力ある人物を生み出す」第一歩に、「今までの自分が今の自分をどこまでわかっているか?」と問われたことは、ワークショップの参加者に宿題を課されたのだと思います。この宿題を問いかけのままに終わらせず、答えを探していきたいと思いました。

(文責 京都府立乙訓高校
島  正 人)

〈はじめに〉

今年度の大会審査員であり、高校演劇部の顧問を続けてこられた三名の先生を迎えての分科会の参加者は三十四名。

 今年は形態を変えてみました。昨年のように、講師が実践報告をしてその後質疑応答というものではなく、分散会方式で全員が自己紹介をし、思いを発言できるようにしました。つまり、全体を十人程の小グループ三つに分け、三人の講師がアドバイザーとしてそれぞれのグループに加わって進めていきました。その後、グループ毎に出された内容を全体の場で発表し交流しました。

 共通の柱立てとしては二つ。

1. 五十二回目を迎える全国高等学校演劇大会の長い歴史に思いを寄せながら「部活動としての演劇の原点に立ち返えってみよう。」

2. 部活動をネタに日頃悩んでいること・感じていることを率直に出し合ってみよう。

 わずか一時間足らずでしたが、全国各地から集まった一年生から三年生までの演劇部員そして顧問が一同に会して本音で語り合える貴重な一時になりました。

 さて、その討論の一端を紹介します。

〈演劇部を存続発展させるための部員勧誘に関わる問題について〉

 昨今の状況では、人気のある部は運動部。演劇部は暗いイメージがある。中学校で演劇の楽しさを経験している人も少なく、演劇部に入部しようという気持の人は少ない。やっとのことで部員を確保するものの、廃部の危機に瀕しているところもある。そういう状況のなかで、秩父農工科学高校や青森中央高校での工夫や経験は参加者に今後の方向性や勇気を与えてくれました。

1. 演劇部のイメージを明るいものにアピールするための取り組みとして、とにかく強いインパクトを用意する。二時間勧誘ライブを三日間。コントで笑わせて、目を見て話しかける。

2. 新歓等の王道だけでなくいろいろな手を使ってみる。全体の新歓の後、ダンスやパーフォーマンス等でマイナーイメージを打ち破る。「最初全然入る気がなかったのに入ったのは、暗いイメージではなく明るいイメージだったから。」という部員の声が聞かれました。

3. 「中学は運動部だったけど、勧誘ライブは楽しかったので入部。」

という声がある。「とにかく楽しい」という新歓ライブを実現させる。そのためには「やっている本人が本当に楽しいと思えることが入部を迷っている人を変えるきっかけになる。」一番必要なのは演劇部員の心意気です。

4. 演劇は入る間口が広い。「目立ちたがりだけでなく、どんな人でも入れてしまえ!」と。役者以上に裏方が大事。それがなかったら成立しない。「スタッフで募集しても入ってしまえば立派な演劇部の活動ができる!」間口が広いということをアピールしましょう。

5. 「何か楽しいな!」「演劇部はフレンドリーだ」と感じてくれたら入る。その時こそ逃してはいけないチャンス。テンションを挙げて引っ張る。ちなみに秩父農工はクラスに一人は演劇部員。全員で五十八人。

*学校の中に様々なコースが出来て、共通の放課後がとりにくい状況のなかでのクラブを続けることの困難さも顧問から出されました。

〈演劇の醍醐味とクラブ内で起きてくる問題の解決〉

 「演劇は総合芸術だと思う。自分の役割は音響であるが、芝居の面白さを実感している。」との意見が光りました。

 顧問の先生からは「ある程度の集団ができると派閥や問題が起きてくる。いろいろな人がいて、微妙につながったり、切れたり。つながろうとする意志があれば意味がある。〈つながっていたい・つながりたい〉これが基本意志。」とのアドバイスがありましたが、以下それらに関わって、生徒の発言です。

1. 問題解決は部員が自主的に。そして本音でガツガツ言う。その中でお互い愛が生まれる。思い切って泣いて本気で全部言うとよくなる。陰口は絶対言わない。

2. 問題があったときレベルによって、個別あるいは全体ですすめる。「私たちは見守っているよ。」という気持をもった先輩や部長の役割・顧問との連携も大切。 

〈終わりに〉

 以上を踏まえ、部活動を終えようとしている三年生とこれから本番を迎える一年生を中心に感想を交流しあいました。

 [三年生]

1. 役者をやって顧問に誉められたこと、演劇部に入って自分が変われたことがとても嬉しい。

2. 部活を3年間続けられたことは、一・二年の時は先輩、三年は後輩がいたこと。「けんか」して仲良くなった。その中で、演劇の技術だけでなく人間としても大きくなれた。

3. 辛いこと、なかま・先輩とけんか。辛い部分があるからこそ達成感があった。達成感を味わってほしい。

4. 合宿が辛くて胃が痛くなった。一緒に痛みを分けながら気晴らしをしたり発散させた。そんな時もあっての部活動だった。

5. 楽しかったので続けてこれた。「楽しくなるように頑張ろう。」

6. 一度やめようと思った時期、先輩と仲間がいてささえてくれた。今は後輩がいることがささえ。

7. 「3年生は私一人」になった時「いかに部員が大切か」ということがわかった。

8. 2年の時から入った。一回入ってやってみて、みんなとやるのが楽しかった。もめごと・けんかはあったけどそれも乗り越えていい経験。やってきて後悔はない。

 [一年生]

1. 正直、演劇部の活動をあまりしていなかったが、分科会で話を聞いて整理がついた。

2. 自分と同じ考えで入った人がいて共感でき嬉しかった。悩みが出せ、意見が出せた。テンションもあがり楽しかった。

3. 「けんかしていい」とたくさん言われて「それで仲よくなれたらいいなあ。」と安心。そして実感。

4. 全国大会は初めて。いろいろな県の人と悩みも交流できた。

5. ぶつかるのがイヤで「本音」を言えなかったがこれからは本音でやっていこう。

 最後に「演劇は総合芸術である。演劇作りの活動をする中で人間って面白いなあと思えること。ぶつかりあう中で何かが生まれてくるとしたら素晴らしい。全国で話ができるのはここしかない。この場でのつながりを大切にして、明日からの活力にしていこう」と顧問の先生方が締めくくられました。

(文責 京都橘高等学校
汐崎 啓子)

第五分科会  生徒合評会

はんなりと、けど、おきばりどした

  芹澤 ちよ乃 

 大会最終日、講習会の一つとして、合評会を行った。参加者は講評委員、上演校、一般参加者あわせて八〇名であった。

 気をつけたことは、上演校との関係である。上演校は一年以上かけて劇を練って来ている。それを講評する側が上演を尊重する姿勢を持つことを委員には指導しているが、その姿勢が上演校に伝えたいと思った。

 そのため、上演直後に担当者三名が上演校にあいさつに行き、「合評会で一分間の上演の感想を述べてほしい」というお願いに行った。上演後の忙しい時間に行くのは邪魔にもなるが、他にお互いに会う機会がとれなかった。大会前日の交流会で時間がとれないかとも考えたが、時間が短く断念した。

 講評委員の発言の前に上演校に話してもらったことで、全体の雰囲気がよくなったのではないかと思う。講評の後、上演校に対する質問をする際に受け答えがスムーズにできた。ただし、一校当たり時間は七分しかとれず、この合評会は合評というよりは発表で終わったという印象は否めない。

 発表会に終わらない合評会の持ち方については、今後とも研究課題であろう。

全体講評については、今回は見送った。時間の関係でそのように判断した。その年の傾向を述べるということは、他の大会との比較において言える部分もあり、全体講評を生徒講評委員会がするかどうかについても議論の分かれるところであろう。ただ、要請もあったので、同時掲載の生徒実行委員長の文章に全体講評を掲載する。

 今大会では、講評速報は出さずに高演協のホームページにアップし、合評会参加者には最終上演の「死神」を除いてプリントした。そのため、大会参加者の目に触れていない部分が多い。「褒めてばかりだ」という声にも耐えうる誠実で率直な講評が行われたと自負している。是非とも御覧いただきたい。


 以下、講評の要約を紹介する。

『サバス・2』
 速いテンポで、軽く明るい感じの中に、登場人物たちの陰が垣間見える。そして集団自殺へ。その「死」に対する認識の軽さが心に重くこびりついた作品だった。装置・衣裳・照明・音響の連携が高いレベルでとれていた。

『全校ワックス』
 何もない舞台。ワックス掛けに偶然集まった、ばらばらな五人が独特の「間」を保ちながらぶつかり合うことで、内面を打ち明けられる仲になっていく。ワックス掛けの後、意図的に残された足跡には独特のすがすがしさがあった。

『学割だからいいのよ』
 舞台装置を置かず、小道具を効果的に用いて作った暗示的なイメージを切れ目なく連ねることで、いまどきの高校生たちの進路の不安、悩みや心情をドライに表現していた。新鮮だったが、演者の意図が観客にうまく理解されたか。

『三月記 〜サンゲツキ〜』
 笑いを誘う序盤から山本の自殺という予想外の展開に作品の構成力の高さを見た。幕の転換も工夫があった。答辞中に山本が死を選んだ点に疑問が残るが、教師の苦しみを描くことで、一人の人間としての教師を改めて認識できた。

『君死にたまふことなかれ』
 戦争の中でも一生懸命生きている人々のひたむきさが印象的で、姉弟の息のあったテンポの良い漫才が魅力的であった。装置、衣裳、小道具、音響は時代設定に合うよう細やかな心配りがみられた。

『木』
 廃校になる中学三年生四人の友情を描いた作品。タイトルは成長するにつれ枝別れしても、太い幹でつながっていることの暗示である。舞台装置は丁寧に作られていたが、衣裳、音響、照明にさらに細かな配慮を望みたい。

『ラスティング ミュージック』
 離島で暮らす高校二年生五人の「絆」をテーマにした舞台。ピアノを初めとした生音は新鮮で、とても清涼感のある作品に仕上がっていた。キャストの多くが一年生で、気になる点はあったが、爽やかで切実な思いが伝わってきた。

『ひととせ』
 三年生一人の演劇部での部員獲得の一年間を描く。「演劇がしたい」という切実さが共感できて心に響いた。ぬいぐるみやマネキンを相手にし、枝を自分で付け替えて季節を表現するなど一人芝居ならではの独創があった。

『あすべすと』
 最後まで衰えない圧倒的なパワー、秒単位で転換する話題、台詞の端々にでる社会問題がアスベストのように私たちに降り積もる。作品に対する好悪は分かれたが、ストーリーを追うのを諦めることで作品が楽しめた。

『生徒総会06 』
 「制服廃止」をめぐって議論する生徒総会の中に現代社会への皮肉をちりばめ、テンポ良く仕上げられていた。が、問題提起が多く、分かりにくさが残った。

『死神』
 古典落語を下敷きにした話の構成がよくできており、男子ばかりの力強さが感じられた舞台。遠近感を出す舞台装置の工夫や、照明と音響の効果的な演出など最後まで楽しめた。


 日本各地から集まった十八人の生徒が劇について真剣に話し合う姿に、この生徒講評委員会の意義を感じた。

 実は、事前にお願いしたプリントに「なるべくたくさんの劇を観て来てください。ビデオでもいいです。」と書いていた。しかし、ある先生から「劇を観る機会はほとんどないし、ビデオもなかなか手に入らないんですよ。」と言われて、置かれた環境の違いに気づかされた。京都の生徒が当たり前に思っている環境は、実はかなり恵まれているのだと。

 今回の生徒は一年生から三年生まで、講評を経験した者もそうでないものもバラエティに富んでいた。先生方も若い方からベテランまで、演劇に詳しい方や顧問の代理の方まで、こちらもさまざまな個性が集まった。これでいいのだと思う。いろんな人がいて、いろんな見方がある。今までどれだけ劇を観たかということでなく、その人のこれまでの人生経験で劇を見ているのだ。ここでの人と人の出会いこそが大事なのだ。

 今後も、それぞれの大会関係者がそれぞれのやりかたで、この出会いの場をつくっていくだろう。

 今回の京都方式での生徒講評委員会活動の詳細については「演劇創造」に「投稿」し、今後の発展に資したいと思います。

最後に、参加していただいた先生方、生徒のみなさんに心からお礼を申しあげます。

(文責 同志社国際高校
芹澤ちよ乃)

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