審査員講評
切実なリアリティーと若いパワー

― 島根大会を振り返る ―

扇田 昭彦
 高校演劇の大会に出かけるたびに感じるのは、プロの演劇人の舞台とはまた違う感動があるということだ。演技面、演出面では確かに幼いところも多々あるのだが、十代の若者でなくては絶対表現できない切実なリアリティーというものも確実にあり、そういうまれな瞬間に立ち会えた時の喜びは、何ものにも換えがたい。生徒たちのういういしい演技が魅力的な戯曲と結びついた時に生まれるパワーは思いがけないほど大きい。

 二〇〇七年の七月三十一日から八月二日まで、島根県松江市の島根県民会館大ホールで開催された第五十三回全国高等学校演劇大会でも、私はそういう経験をした。全国から選ばれた十二校が競演した三日間だった。

 審査員の一人として、個々の舞台を上演順に振り返ってみよう。

 第一日は、北海道帯広柏葉高校の同校演劇部作『ウエスト・サイズ・ストーリー』から。ミュージカル『ウエストサイド・ストーリー』をひねった題名で、スリムになりたい女子高校生たちがしきりに気にするウエストを意味する。高校の美術部の女生徒六人と男子一人の日常を背伸びせず、等身大でのびのびと描いていた。高校演劇によくある劇的なストーリー展開や感動的な物語をあえて避け、テンポを上げず、間をたっぷり取り、ゆっくりと進んでいく。演技もうそっぽくなく、好感の持てる舞台だった。

 「告白」のレッスン、表情筋のレッスン、メロンパンをニセ乳にする女生徒などもユーモラスで面白い。女生徒が片思いの男の子と一緒に海に行くという妄想の場面では、生徒たちの絵が裏返ってすべて夏の海の絵に変わる趣向も斬新だった。ただし、作品としての印象はまだ薄い気がした。演技面でも、セリフがよく聞きとれない個所があったのが惜しい。

 香川県立高松工芸高校は川田正明(顧問)・宮井あずさ作『寂寞のせせらぎ』を上演した。高校の理科室が舞台。舞台上には二つの部屋が置かれ、演技は主に下手の部屋で行われる。リアルなしっかりした装置が印象的だった。

 カバンからタバコが見つかり、持ち主の男子生徒が担任に呼び出される。生徒はタバコの所持を否定するが、実はタバコをカバンに入れたのは女生徒で、釣りのために池にブラックバスを放して、絶滅の危機にある魚を殺してしまった男子生徒に復讐するためだったことが分かる。環境問題の責任が社会ではなく、生徒にあるという意外な展開がユニークで、人間を単純に善と悪に二分しない描き方も興味深かった。ただし、幻想的な魚のダンスを見せるバレエ風の導入部がやや古めかしい感じだったこと、環境問題の授業のような説明があるなど、手直ししてほしい個所も見受けられた。

 北海道札幌平岸高校は米永道裕(顧問)作の『屋根の裏のバイオリン弾き!』。これも名作ミュージカルをひねったタイトルだ。

 古い木造校舎の取り壊しが迫る中、生徒会の生徒たちが天井裏に未知の部屋を発見する。深夜の校舎に忍び込み、屋根裏を探索する生徒たち。舞台上に吊った屋根の梁の装置を下げて、屋根裏を表す趣向が効果的だった。

 意気込んでやって来る秘境探検同好会の生徒たち、警備員たちとのバトルなどが喜劇的タッチで描かれる。最後に生徒たちはハンマーで壁を壊し、広がる星空を背景に自分たちを再確認するという具合に物語は進むのだが、「思い出作り」のためにせよ、なぜ校舎の壁を壊すのかが、私にはよく分からなかった。屋根裏の荷物には大量のホコリが堆積しているはずだが、そうした点についての言及も必要だろう。

 大阪の追手門学院大手前高校の中條岳青(顧問)作『あげとーふ』は、休みでアメリカ旅行に出た男子高校生五人を描く。グランド・キャニオンに向かう幌馬車に乗ったものの、生徒の一人が「あげとーふ」(アイ・ゲット・オフ)と言ったため、全員途中で馬車を下ろされ、荒野の小屋で一夜を過ごすことになる。

 自殺志向があり、抗鬱剤を飲むケンを気づかう友人のヒメ。なぜかヒメだけに見えるネイティブ・アメリカンの精霊といった設定が観客の想像力をかきたてる。日本で警官になれない不満を抱く在日四世の少年を慰めるアメリカ人の混血の女性も登場する。最後に少年たちは一緒にグランド・キャニオンに向かうことになる。

 少年たちのさわやかな友情の物語は共感を呼んだ。生徒たちの喜劇性に富む元気な演技も面白く、この舞台は優秀賞を受賞した。

 ただし、ケンについては、脚本面でもう少し細部を書き込んでほしい気がした。それから、屋根も壁もある小屋に泊まるのに、生徒たちがしきりに「野宿」と言うことに違和感を覚えた。

 静岡県立富士高校は松田正隆作の『紙屋悦子の青春』を上演した。現代演劇の名作(一九九二年初演)、しかも死に直面する戦時中の若者たちの切ない青春を描くこうした作品が高校演劇に登場するのは珍しい。

 一口に言うと、戯曲のよさがそのまま舞台に生きたという印象だった。端正な戯曲であり、抑制の効いた端正な演技である。余分なものを排除した凝縮したセリフを、生徒たちの演技がよく担った。中でも、悦子役の影島紗絵の演技は印象的だった。永与少尉がおはぎを食べる場面には笑いもあった。舞台奥に立つ桜の木の装置をきちんと立体的に作っているのもよかった。好感の持てるこの舞台は審査員の間でも高く評価され、優秀賞を獲得した。

 二日目の第一弾は静岡県立三島南高校の安永真由子作、同校演劇部潤色の『うぉーっっ』。

 大会の一カ月前になっても上演台本が出来上がらない高校演劇部の話だ。結局、彼らはオリジナルの共同制作で戦争についての作品を作ることになる。

 生徒たちのバカっぽい子供らしさと、戦争の劇を作ろうというシリアスな志向との間にはかなりのズレがあるように思われた。ただし、戦争の劇を作っていくプロセスを描くメタシアター(演劇についての演劇)の構造自体は面白い。そして、戦争を知らない高校生たちが、結局、戦争の劇を作ることができないと自覚する展開もいい。

 ただし、最後に「戦争はいやだ」的な地点に着地するのは常識的すぎるのではないか。

 岐阜県立岐阜農林高校の同校演劇部作『躾 〜モウと暮らした50日〜』は出色の舞台だった。個人的には、今度の大会の中でもっとも深く心を動かされた舞台である。

 この作品が他の学園ものと違うのは、学校の教科として牛を飼育し、牛の乳をしぼり、糞の掃除もする高校生たちを喜劇的に、しかも感動的に描いていることだ。農林高校でなくては出来ないリアリティーのある作品なのだ。

 主人公は徹底してやる気のない落ちこぼれの女生徒・山田(田口ゆりが好演)。山田が担当した乳牛から、オスで三本足の子牛「モウ」が生まれたことで彼女の生活は一変する。この学校では、オスの牛は生後五十日で「淘汰」される。オスで不具のモウには当然、救いはない。だが、山田はモウを何とか救おうとする。団地の自宅にモウを連れてくる姿が切ない笑いを呼ぶ。牛を育てるだけでなく、時には「淘汰」もしなければならない生徒たちの厳しい現実が正面から描かれるのだ。

 牛を人形などで表現せず、生徒たちが見えない牛を引いたりする仕草で牛を想像させるやり方が効果的だった。生徒役と先生役の演技にも実感があった(ただし、山田の家族の描き方にはもっとリアリティーがほしい)。この舞台は最優秀賞と舞台美術賞に輝いた。

 栃木県立栃木高校の演目は、山形県立山形南高校映画演劇研究部作、栃木高校演劇部潤色の『塩原町長選挙』。人口わずか五十人、しかも調味料には塩しか使わないという架空の町を舞台にした軽妙でナンセンスな味わいの作品だ。喜劇的趣向で一気に突き進む潔さがあり、演技面、特に老け役の演技が高校生とは思えないほどうまかった。この舞台は優秀賞を受賞した。

 昨年の京都大会では『三月記』という衝撃的な作品を上演した島根県立三刀屋高校が、今年も亀尾佳宏(顧問)の作品『笑い女』を上演したが、不気味で謎めいた雰囲気で観客を魅了する優れた舞台だった。謎は謎のまま残してあるので、分かりやすい作品ではないが、個人的には強く心を引かれた。好き嫌いがはっきり分かれる作品かもしれない。

 自分の部屋で昔のものを整理していた明夫が犬の首輪を見つける。それがきっかけで、幼いころの過去の記憶がよみがえる。秘密基地の部屋で一緒に遊んだ三人の少年。少年たちに君臨し、わがままな女王のように振舞う孤独で謎めいた少女エミ。少年たちの怪談話に出てくる不気味な「笑い女」。それを連想させる女が窓の向こうに現れる戦慄感。甘美でエロティックな悪夢のような世界が展開する。演出面でも出色だったこの作品は創作脚本賞を受賞した。

 大分県立日田三隈高校の演目は安部雅浩作、同校演劇部潤色の『ラビット・アイズ』。卒業式の日の人形劇部の部室を舞台に、生徒たちの切ない片思いの恋を描いている。特に生徒たちが自分では直接言えない恋心を、人形を使って何とか相手に伝えようとするユーモラスな趣向がよかった。好感を覚えたが、演技面も含めて「普通感」が強く、突出したものが少なかった。室内に人形が少ないなど、人形劇の部室に見えないのも気になった。

 最終日の三日目は、岡山県作陽高校の石原哲也作、二司元能(顧問)潤色の『シャドー・ボクシング』から。陰惨ないじめを受けて不登校を続ける高校生と、癌を病む豪快な祖母、家族の日常を日記に書く小学生の妹を中心にした作品だ。主人公が仲間たちから繰り返し暴行される姿をシルエットで見せる趣向は、陰で行われるいじめの実態を視覚的に示して効果的だ。主人公の訴えに耳を貸そうとしない教師、いじめに反撃するものの負けてしまう主人公の絶望的な姿などが、観客に鮮烈な印象を刻む。全体的にセリフがはっきりと聞こえるなど、舞台の完成度も高かった。

 締めくくりは福島県立小名浜高校の同校演劇部潤色『七夕』(北海道帯広柏葉高校演劇部作)。審査員の大田創氏が「遠い孫より近くのセールスマン」とうまく要約した通り、一人暮らしの祖母と、訪れるのがまれな孫たち、頻繁に出入りして祖母に商品を次々に売りつける若いセールスマンを描いた作品だ。孤独な老女の日常を描く脚本はなかなかよく出来ていて、セリフもよく通る。特に七十二歳の老女を品よく演じた新井愛に感心した。ただし、孫の美里が急に正義派に変わる設定など、ご都合主義と思える個所もあった。

(演劇評論家)

そこに私の知らない
    演劇があった  

  宮沢 章夫

舞台美術講評

 大 田 創

 これまでなにも知らないまま漠然と、「高校演劇」という言葉やその姿をイメージしていた。今回、審査をさせていただいたのは、得がたい経験だった。印象に残ったのは、「高校演劇」に対する私の予見がほとんど無意味だったことだし、漠然とイメージしていた「高校演劇」とは異なる舞台に数多く触れることができたことだ。「高校演劇」といっても幅は広い。様々な表現がある。そこに私の知らない演劇知ともいうべき舞台表現があり、これまで私が知っていた演劇とは異なる世界がそこにあった。上演順に私が感じたことを簡単に記してゆく。

 北海道帯広柏葉高等学校『ウエスト・サイズ・ストーリー』は女子高生が切実に感じているのだろう、ダイエットや美容といった素材から自分を装うことの意味を問う。もうひとつ踏み出せば、この劇は身体論を語ることになると思えて興味深かった。ただ、表現の稚拙さと相俟って、浅い部分でドラマが終わっているのは残念だ。

 舞台装置が強く印象に残ったのは、香川県立高松工芸高等学校『寂寞のせせらぎ』だ。手前に高校の教室らしき部屋が二つある。奥に学校の廊下。三つの空間で、同時に芝居が進行するとき、その丁寧な演出が際立っていた。私見では上位に選ばれてもおかしくない作品だと感じたのは、同時に演技が進行することの鮮やかさが大きいが、なかでも、手前の空間でシリアスな演技が続いているとき、廊下を携帯電話で話しながら通り過ぎる女子高生がいる場面はほんとうに面白かった。たしかにいくつか作劇上の瑕疵はあったとしても、この新しさはもっと評価されるべきではないか。

 北海道札幌平岸高等学校『屋根の裏のバイオリン弾き!』もまた、舞台装置に見るべきものがあった。タイトルにもあるように、高校の「屋根裏」が主な空間となるが、それをごくシンプルな装置によって表現したのはうまい。

 もっとも会場を沸かした追手門学院大手前高等学校『あげとーふ』

は、いわば青春群像劇である。一人一人の力量がほかの高校に比べきわめて高い。達者に演じられる人物たちの姿は笑いを誘うし、そのテンポのいい会話のやりとりが気持のいいリズムでドラマを進行させる。完成度も高い。演劇の持つある種の魅力を充分に備えている。そこに描かれる青春には、私からしたら照れくさい甘さがあるが、それがいやな気持にさせないのは彼らが演じているからだろう。高校生の特権だ。そして、「高校演劇」の良質な部分がそこに凝縮して現れている印象を持った。

 大手前高校をはじめ、多くの高校には、ある種のにぎやかさがあるとしたら、静岡県立富士高等学校『紙屋悦子の青春』はまったく質が異なる。緊密な舞台の空気を生み出すためにひとつひとつの行為を落ち着いて演じてみせる。芝居としては、わーっとにぎやかなほうがやっていて楽しいだろう。冨士高校の彼/彼女らは、作品の世界観を壊さぬよう淡々と演じてみせ、そうした姿勢に感心した。戯曲に指定されているのだろう細部の行為を丁寧に演じるとき、はじめて戦争の渦中にある人々の、愚かさと切なさが舞台からにじみ出す。

 同じように「戦争」が作品の一要素になっている静岡県立三島南高等学校『うおーっっ』にあったのは、演技することへの疑いのなさだ。テーマが現れた途端、演技の質が変化する。そのことに疑問を持たないとだめだろう。

 岐阜県立岐阜農林高等学校『躾 〜モウと暮らした50日〜』は、全体のなかでもっとも好感を持った作品だ。最優秀賞になったのも肯ける。まずこの作品の特長は「山田」という女子高生の魅力だ。はじめ山田は農業高校に入ったことを後悔し授業にも身が入らない。けれど、「モウ」という身体に障害を持って生れた牛の世話をすることで成長してゆく。いわば映画「ET」の世界観に近いものを感じたが、ここで重要なのは、「躾」というタイトルをどう解釈するかだ。牛の躾をする高校生山田の姿を描き、その過程で彼女が成長してゆくドラマのようだがそうではない。逆だ。山田が、モウというその牛に躾けられたのだ。もちろん牛は無対象で演じられる。けれど、そこに牛はしっかり存在した。牛が山田を突き動かす。それを演じる高校生たちがいい。その姿に私は素直に感動した。

 栃木県立栃木高等学校『塩原町長選挙』はいわばナンセンス喜劇である。男子校らしい明るさに充ちており、彼らの実際の高校生活が舞台から垣間見え、それが興味深かったものの、テーマが出現したとたん、それまでのナンセンス味が失われる。唐突にシリアスな演技になるのは評価できなかった。でも、全国大会に残るためにはそうした部分も作品になければだめだったのだろう。ナンセンス喜劇はこの国では評価が低い。ラストの胴上げはもっと勢いよく上げるべきだ。あと1メートル高く上がっていたら私は迷わず彼らを最優秀作に推した。

 島根県立三刀屋高等学校『笑い女』を観ていて感じたのは八〇年代演劇にあったある種の自由さで、その自由さ、奔放さ、あるいは時間や空間を奇妙に展開する作劇はほかの高校とは色合いが異なって見えた。それをどう評価するかで作品の判断がわかれる。音楽の安易な使い方など、八〇年代演劇的な部分が否定的に感じたが、不思議な感触を残す舞台だ。

 それと同様に、大分県立日田三隈高等学校『ラビット・アイズ』もまた、感触の心地よさという意味で好感が持てた。単調な作品になってしまったのは、おそらく戯曲が、二人以上の対話がほとんどないことからくるが、高校生の日常を切り取った小さな世界は、等身大の自身に近い姿を演じることで、「演じること」へのゆるやかなアプローチとして成功していると見えた。

 自分たちの日常に近い世界を描いても、岡山県作陽高等学校『シャドー・ボクシング』に見るような「いじめ」をテーマにした作品は、いじめられ、自殺にまで追いこまれるような高校生を演じたとき、演劇の嘘が露呈する結果にもなり、それというのも、それを演じる高校生が、いじめや自殺とはまったく無縁に感じる明るそうな人だったからだ。演じることの困難がそこにあるものの、おばあちゃん役を演じた高校生には感心した。おばあちゃんにしか見えなかった。

 同じように、おばあちゃんが登場するのは、福島県立小名浜高等学校『七夕』だ。うまく書かれた戯曲だった。一人暮しの老人を相手に次々と新しい電化製品など売りつけようとする業者の若い男にあるのは、善意のように見えて、きわめてたちの悪い老人を食い物にする商法だが、それだけでおさまらない複雑さがあるからドラマとして見応えがあったのだろう。「いじめ」よりもずっと現在的なテーマだ。それはきわめて深い意味を持った社会問題だ。ただ、それを高校生が演じることにどれだけの意味があるのだろう。

 どの高校も一定のレベルに達しており、私の予想をはるかに超えていた。なにかすがすがしいものを、その舞台に、全国大会という空間から強く受けた。

(遊園地再生事業団主宰
 演出家・劇作家)

 はじめて高校演劇の現場をみました。作品の審査を依頼されたのだと思っていたら、なんと「その他に舞台セットの絵も描いてくださいね」とさらっと言われてびっくり。最初の作品の幕が開いてまたびっくり。「セットなんてないじゃない! どうすんの!」と言う訳でサプライズな初体験となりました。舞台スケッチと見比べてお読みください。

『ウエスト・サイズ・ストーリー』

 男子のうわさと自分の美醜だけが関心事で、ほとんど絵を描いていると思えない美術部の女子生徒たち。「こんな女子が私の教えるクラスに入って来たら大変だ」などとおもわず思い、やがて黒一点の男の子とわたしの姿がダブりました。休憩中に高校の先生方に実際の現場ではあんなことはないからと言われてほっとする始末。この本ならもっと漫画的に飛んで、メリハリをつけた演技術で徹底して笑いを取ることをめざそう。顔出しパネルは美術部らしい、いい出来でした。

『寂寞のせせらぎ』

 驚いたのはセットをセンターで左右に区切った事。本の内容からは絶対に下手側が広くあるべきなのに。ところがこの上手の部屋を演出がたくみに利用して舞台を作った。用もない人物を配置してうまい舞台作りをした。こんな演出家とは仕事をしてみたい。知らない間になにかを壊しているという重い問題を感じました。セットの作りに思いがこもっていて良かった。

『屋根の裏のバイオリン弾き!』

 空間を大きく使うことで舞台ならではの演出が出来た。下の部室と屋根裏をシンプルな屋根の構造材の上下で表現した変化は秀逸。 置いてある物に古さや埃まみれの感じがほしい。部室の物を裏返すとすごく古いものに着色しておくなどもう一工夫できたのではないか。

『あげとーふ』

 唯一セットを斜めに振って動きを出した。小屋のセットの作りは緻密で完璧。で、これがまずかった。あんな立派な小屋に泊まったら「野宿」とは言わないだろう。あれは精霊アミーゴが住まうボロボロの廃墟でなくてはならない。そして最後にケンに付きそってグランド・キャニオンに行くのもアミーゴがひとり。そうでなければドラマにならない。

『紙屋悦子の青春』

 台詞も良く聞こえ、かっちり出来ていました。真面目な取り組みに好感。この作品にあったストイックなセットで良かった.桜の木がもっと大きい方がいいとは誰しも思うがいろいろ条件があるからね。このような場合は根元を一メートルほど隠して木をその分上に上げると大分印象がちがいます。

『うおーっっ』

 台本があがらずパニックになった部室から瓦礫の戦場へ入っていく勢いは楽しめた。セリフ術に問題あり。うるさいばかりで不明瞭なため聞き取れない。美術は部室から戦場に大きくチェンジする。この点は意欲的。ただ結果的に部室が戦場を隠すだけのパネルレベルだったのは残念。台本作りのしわよせがここに出たという感じ。

『躾 〜モウと暮らした50日〜』

 ビックリしました。舞台上に牛がみえました。(実際には無対象です。念のため)自分たちしか知り得ない事実を組み立てて作品を作ろうとした視点がまず賢い。そしてひとりの生徒の成長とをうまく組み合わせた。農学校の現場、牛飼いのうんちくが楽しめ、伝えたい事が充分伝わって来た。セットの二階を使っての演技も舞台に広がりを出し、効果的なセットとなった。

『塩原町長選挙』

 舞台を広く使ってのびのびと演じていた。セットはほとんどないが人物がそれなりの造形を作って活発な視覚的効果を出していた。美術部門の審査があるからといって不要な物を作る必要はない。この演出ならこれでいいと思う。

『笑い女』

 少女の残酷性は芥川の「かちかち山」を思い出させ、高校生が演じる本としては異端だなと感じた。しかしこの不思議な含みのある台本は大変良く書けていると思う。ひとつのセットで別々の場所を表し、しかも現在と過去を行き来する設定はセットのデザイナーを困らせ、同時にデザイナーの知恵と腕の見せどころを求める作品である。その点で頑張って作っているが台本を満足させるところまでいっていない。しかし窓からの出入りのアイデアはまねしたいくらいの発想でした。

『ラビット・アイズ』

 おじさん達に分かりやすい結ばれない純愛劇。こんな二人が20年後に再会すると危険です。シンプルだが結構いい台詞があり役者もうまいと思った。女生徒と人形の人生相談も好きなシーンでした。人形劇の動きも良く出来ていました。部室らしく沢山の人形を配置し人間達の葛藤を見守らせるともっと芝居が深くなったでしょう。

『シャドー・ボクシング』

 癌といじめ、おばあさんの人生観と少年の人生観を軸に人間関係がうまく描かれた作品です。美術はしっかり作られていたし、時間軸を考慮に入れて左右中央と造形的バランスをとっていたのがうまい。ホリゾントに浮かぶ役者のシルエットの凸凹がおもしろい。私はとても面白いと思ったが、再演ものはオリジナルに比べ点が辛くなるもののようですね。

『七 夕』

 ウエルメイドな芝居。「遠い身内より近くのセールスマン」という設定でこの芝居は始まる。話相手にお金を払うお年寄り、そしていよいよ会話相手が生き物から電気製品に替わっていく現実はとても悲しい。難しいことだがリアルな告発なだけに「人はこんな時こんな振る舞いはしない」と思わせるような演技をしてしまうと大変損である。例えばやっと来た孫が出かけると言えばおばあさんは必ず玄関まで送りに出るだろう。細かな人間の行動は人間の微妙な心の動きに準ずるものであることを理解してじっくり人を観察してほしい。発声も演技も間合いも達者なのであえて望みます。セットはしっかり作ってありました。

(舞台美術家     
大阪芸術大学教授)

全国大会を終えて

 秋本美智子 

全国大会を見て

 清野 和男 

 この全国高校演劇大会に初めて審査員として関われて光栄でした。思っていたよりもずっとレベルの高いお芝居に驚かされ、皆さんのみずみずしい感性と無限の可能性を感じてとても良い刺激を受けました。

 結果はもちろん大切ですが、結果を生み出すまでの過程にこそ意味があると思います。みんなで一つの目標に向かって頑張ったこの夏のことをいつまでも忘れないでください。

北海道帯広柏葉高等学校
『ウエスト・サイズ・ストーリー』

 少々コンプレックスがあっても、ありのまま、そのままでいいんだよということがこのお芝居で伝えたいことなんだろうと一発で分かる単純で分かりやすい内容。外見について興味を持つ年頃の等身大の役柄をみんなで楽しんで演じていました。話に大きな展開はないけれど観客を飽きさせない工夫もされていたと思います。この作品に限らないのですが、張り上げたようなセリフの話し方の時、役者たちの声がみんな似た声に聞こえてしまうこともしばしばあったので、もう少し声にも個性が欲しいなと思いました。

香川県立高松工芸高等学校
『寂寞のせせらぎ』

 幻想的な滑り出しで始まり、次に現れたセットは全てドラマのセットのように丁寧に作られていました。全体的に元気はいいのだけれど少しフライング気味で、セリフを話すとき自分の言いやすいリズムに頼って話すから一本調子に聞こえがちでしたね。内容的には、見落としがちな、でも大切なことを題材にしていていい作品だと思います。同じ大きさの二つの部屋のセットなので、左の部屋で主な芝居をしているときに右の部屋の役者が芝居をしているのは気が散ってしまったのですが、一つの部屋を補助的な部屋にして均等にしない方が集中して観られた気がします。

北海道札幌平岸高等学校
『屋根の裏のバイオリン弾き!』

 とても安定した芝居だったと思います。張り上げることなく観客席までよく声が届いていたし、みんながのびのびと演じていることを楽しんでいるのがよく分かり、観ている側も安心して楽しめました。テンポも展開も良かったのですが、計画を練りに練って忍び込んだのに、最後は壁をぶち壊して終わるというのは少し強引な気がしました。日常の身近な小さな出来事でも大冒険にしてしまう子供っぽさが懐かしくもあり、私は好きな作品ですね。全体的に良かったのですが、あと少し一人一人の個性が出せればより良かったかなと思います。

追手門学院大手前高等学校
『あげとーふ』

 個性にあった配役で堂々と自信をもって演じていました。ボケとツッコミに頼りすぎているような感じも少ししましたが、アミーゴという正体不明のキャラクターでも理屈抜きでアリだなと納得させるような独特の世界を持っていた舞台でたいへん楽しめました。このメンバーで違ったタイプのお芝居(シリアス系とか)をするとどういう風になるんだろうととても興味がわきました。

静岡県立富士高等学校
『紙屋悦子の青春』

 戦時中の話を最初から重くなりすぎず、笑わせるところは笑わせ、泣かせるところは泣かせてと、メリハリがあって、クオリティの高い作品だったと思います。その時代の雰囲気がよく出ていて、高校生でもこれを演じられるんだなと感心しました。明石を戦場に送った後で悦子が泣くシーンでは、敢えて姿を見せないで泣き声だけを観客に聞かせることで彼女のひたむきさとけなげさがより表現できてとても良かったですね。前半と後半に出てくるおじいさんとおばあさんになった永与と悦子は声に張りがありすぎ元気が良すぎたので少し工夫が欲しかったかな。

静岡県立三島南高等学校
『うおーっっ』

 前半から中盤まで騒がしすぎてセリフがよく聞き取れなく、同じテンポで長いこと進んでいたので新しい展開を早く観たいと思いましたが、その後の展開が自然な流れではなく唐突であるような印象を受けました。さっきまで戦争に感心がなかった人達がおじいさん、おばあさんから聞いた話だけでいきなりあの世界観に突入するのは違和感を覚えました。斬新と言えば斬新なのかな。

岐阜県立岐阜農林高等学校
『躾 〜モウと暮らした50日〜』

 素朴な題材でとても好感がもてました。牛の世話をすることで山田さんが命の大切さを感じたり、そこで友情が芽生えたりと彼女の成長が自然に描かれていたと思います。山田さんの心の変化を桜本君が語り手となって観客に伝えるのも彼女自身が心情を語るより効果的だったと思います。山田さんの朴訥で不器用なやさしさがより強調されていました。モウの躾をする場面はもうちょっとあった方が良かったかな。

栃木県立栃木高等学校
『塩原町長選挙』

 変にシリアスにならず最後まであの軽さのままでいったのは潔かったですね。老け役が十代とは思えないくらい良かったと思います。中弛みすることなく最後まで観客を楽しませてくれました。一人一人のレベルが高く、よく研究されていたと思います。

島根県立三刀屋高等学校
『笑い女』

 とても不思議な変わったストーリー。エミの子供の無邪気さと残酷さがよく表現できていたと思います。このストーリーの舞台の秘密の部屋が広すぎたので、もうちょっとごちゃごちゃとした感じの秘密基地の方が雰囲気が出て良かったかな。音楽の使い方に工夫が欲しかったですね。

大分県立日田三隈高等学校
『ラビット・アイズ』

 ほのぼのとした内容で展開がなかったせいか、リアルな印象を受けました。ただ、普通過ぎるので少しひねりが欲しかったように思います。また、息の合った人形劇も面白くてセリフも上手だけど、もう少し人物の背景が観たかったかな。それでもとても素直な気持ちで観られました。

岡山県作陽高等学校
『シャドー・ボクシング』

 テンポもよく展開が早くて自然と目が離せない完成度の高い作品でした。おばあさんの老け役が魅力的でとても良かった。高校生だということを忘れるほどの演技でした。最初のシルエットの使い方はとても良かったけど、「必殺仕事人」の音楽が流れる格闘シーンはなくても良かったんじゃないのかなと思いました。日常の会話のセリフでも充分面白いので、あそこでウケを狙わなくても良かったような。いじめという社会問題をテーマにしていて興味深く観ることができました。

福島県立小名浜高等学校
『七 夕』

 ストーリーの内容としては身近のあり得る話を取り上げてあり、台本は良かったと思います。最初、真と姉妹のお芝居が力が入りすぎてセリフの頭が強く出る癖と、勢いでしゃべっている感じが気になりました。あと炊飯器の「ご飯が炊けました」の音が不自然な程大きすぎましたね。みんなのためにご飯を炊いたけど、誰もいない寂しさ、虚しさを表現したかったのだろうけど、わざとらしくなってしまって残念。祖母役の松は人の優しいおばあさんという感じで、前校とは別のタイプとして見応えがありました。  

  (俳優)

 まず上演校ごとの簡単な講評を述べてみたいと思う。

 北海道帯広柏葉高等学校『ウエスト・サイズ・ストーリー』は、女子高生の日常感じている身体的な悩みを、いろいろな工夫をして脚本にして、面白く演じていたことに共感を覚える。小道具や絵画を使った見事な演出にも拍手を送りたいと思う。ただ、センターで観客に向かって見せようとする手法や、間口の広い空間を狭めない舞台形象に関しては、疑問が湧きます。大変楽しい芝居であることには間違いがないが、個性をもっと出してほしかったと思う。

 香川県立高松工芸高等学校『寂寞のせせらぎ』は、幼い時の思い出を大切にしている少女の思い。自然を守ることが酒造りにとって大切であるということが伝わってきた。さて、台詞がきちんと聞き取れない言葉がたくさんあった。叫びたいときほど心は冷静にして語ることが大切だと思う。さらに大人の演じ方が非常に甘いと思う。また、舞台装置だが空間の大きさ、パネルの色、形、窓などもっと細かな配慮をすべきだ。音響にしても台詞のリズムと合うようなBGMを考えるべきだと思う。

 北海道札幌平岸高等学校『屋根の裏のバイオリン弾き!』は非常にテンポも良く、スタッフワークも素晴らしい舞台であったと思う。屋根の裏の大切な学校の思い出と転校する桜の友達に対する思い出の大切さをベースにして重厚に仕立て上げていると思う。しかし、屋根裏の思い出の品と桜の思い出。一致するようで一致していないもどかしさが感じられた。もしも、屋根裏の品々と桜との有機的な繋がりがあれば、そのもどかしさも生じないのではないかと思う。登場人物が多いために桜との線と線との人間関係が希薄になっていると感じられた。

 追手門学院大手前高等学校『あげとーふ』は、軽妙なやりとりで楽しく展開されていく前半から中盤。そして後半に国籍問題・自分探しの旅(?)・友情等が散りばめられた舞台構成であった。楽しく見られ、パワフルな舞台であったと思う。舞台装置もよく作られていたと思います。脚本についてだが、前半のお笑いの比重が多いため、後半の長台詞のシーンとのギャップがありすぎると感じた。

 静岡県立富士高等学校『紙屋悦子の青春』は、悲恋が伝わってきた。悦子の影島さんの透き通った演技がそれを引き立て見事な舞台になっていた。そして永与を演じた山本君の純真な演技もその感動を倍増していたと思う。本当にていねいに作られた完成された舞台であったと思う。舞台から発するエネルギーとは、演じている者とスタッフの集中力が生み出すものであり、決して騒ぎ立てることがエネルギーを客席に届けるものではないということを、見事に立証してくれた。

 静岡県立三島南高等学校『うおーっっ』は、みんな必死に演じようとする気持ちは伝わってきたし、演劇好きな君達が芝居を作ろうとする意図も見えてきた。そして、平和という尊さを私たちに伝えたい意図もわかった。しかし、平和というテーマならわざわざ劇中劇という手法をとらなくてもよかったのではないか? 細切れにネタを出しては暗転をするという手法は戯曲としては成立しにくいということを考えなければなりません。

 岐阜県立岐阜農林高等学校『躾〜モウと暮らした50日〜』自分たちの日常の実話を元にして、動物と人間とのふれ合いによって人の心も変化していったということがよくわかった。やはり自分たちが体験していることを芝居にするということは大変な作業だが、良いことだと思う。演技も大変素直で好感が持てた。下手の装置も大変リアルに作られておった。ただ、脚本については躾の過程をもっとていねいに書かれて欲しかった。

 栃木県立栃木高等学校『塩原町長選挙』は今の時代に手直しした台本でテーマ性が強い舞台だった。都会と田舎との対比がしっかりと出ていたと思う。本当に塩だけの村を守るというお父さんの意思がラストの感動となっていた。以前書かれた当時より現代の方が過疎の状況にあり、より深く考えさせられた気がする。軽妙な演技も良かったし、要所がきちんと演出されテンポも良く、舞台に引きつけられたと思います。老け役も大変できていたと思う。効果音もうまくマッチしていてよかったと思う。ラストの紅白の幕がああいう形でゆれたのも最高だった。本当に笑いと感動のある素晴らしい舞台であったと思う。

 島根県立三刀屋高等学校『笑い女』は、伝えたいことが何となくわかるのだが、はっきりとは分からなかった。現在と昔の交錯がすっきりしなかったのが原因かも知れない。また、幼少の役で高校生に感じてしまったところがあった。考えようによっては面白い芝居なのだろうが、台本を見ないで見た感じは何かスッキリしない芝居だった。しかし、セットも良く作られ、BGMもこの芝居の雰囲気をよく出していたと思う。

 大分県立日田三隈高等学校『ラビット・アイズ』は、さわやかに、切ない美帆の気持ちが伝わってきた。高校生らしい芝居であったと思う。観客にこびていない自然な演技でよかったと思う。ただ、会話がそれを計算してかどうか分からないが、淡淡と進むのはいいのだが、平板的になったのが残念だ。現代の高校生の会話としては非日常的に感じ、演出の狙いであったかも知れないが、不自然に感じられた。

 岡山県作陽高等学校『シャドー・ボクシング』はシルエットによる演出は脚本どおりの効果があったと思う。演技も自然体に演じようとしていると思った。しかし、最後の母親とのシーンに疑問が残ったし。これが書かれた十年ぐらい前と今では、この脚本が成立しないことがあると思った。ただ皆さんの演技をとおして、この作品の良さはたん能することができた。

 福島県立小名浜高等学校『七夕』は、みんながんばって台詞を言っているけど、少しがなり過ぎているところがあって、細かなニュアンスが伝わってこないところがあった。台詞の間も一定だったと思う。セットだがリアリズムに作ろうとしていたのかどうか不明だが、部屋に置かれている道具にも疑問が残った。新しい電気製品があの部屋にあふれていても良かったのではないかと思う。全体的にスタッフの力が弱いように感じた。しかし、思いは充分に伝わってきた。

以上だが、どの舞台も良く作られていたと思います。しかし、全体的に創作脚本として優れた作品があまりなかった気がした。やはり、今後はもっと研鑽し既成作品に劣らない作品作りをしていく必要があると感じられた。また、スタッフの力量を高める必要があると感じられた。

(山形県立東根工業高等学校)

時代への照射、そして可能性の翼

ー覗き見た「高校演劇」の現在ー 

山 本  篤 

高校演劇よ、永遠なれ!

  久保田和弘 

 全国大会の審査に携わったこの三日間は、私にとって大変有意義な時間となった。劇、とりわけ若々しい感性が創り出す高校演劇は、くっきりとその時代を映し出す。その舞台の若さに炙り出された時代とはどういうものなのか、それが私の大きな関心事であったが、それはなぜかきっちりと枠組みされた堅牢かつ安定したものに見えた。逆に言うと閉塞的で、明日に向かって現在からはみ出していく豊かなしなやかさに欠けているきらいがあるのだ。その為、舞台自体も冒険が少なく安全かつ安定したものが多く見られた。劇表現の持ついい意味での時代を抉る怖さ、既成の枠をはみ出していく獣的なパワーは、どの舞台からも影を潜めていた。そこに不満は残ったが、それでも、どの舞台もまっすぐなひたむきさが溢れていて、高校演劇ならではの晴れ渡るような爽やかさを満喫出来、とても感激したことも事実である。

『ウエスト・サイズ・ストーリー』

 等身大の高校生をのびのびと演じた爽やかな作品。舞台では今の高校生達の一大関心事であるスタイルに関する会話が展開する。勿論その先には恋の話だ。今の高校生達はこういう事にしか関心がないのかと哀しくなる一方で、その点に表現を集中させる事で、時代への批評性が示し出されているようにも捉えられる。残念なのは、女子生徒達が皆同質の発声になり個性が出なかった点と、広い間口舞台を効果的に使用出来ない為に生じた躍動感の欠如、又メロンパンを巡る演出の工夫不足である。

『寂寞のせせらぎ』

 環境問題を正面から扱いながら、それを生徒間の葛藤へ向けていくという手法が新鮮な作品。舞台をセンターで二分する手法は大胆だったが、効果的であったか疑問だ。又、環境に関する講義的説明が長すぎるのも気になる。道化回し的役柄とシリアスな役柄の明確な二分割も劇として拙さを感じた。しかし全体的に安定した演技で、ラストの先生のシルエットと二條の叫びのシーンは演出が効いていて秀逸であった。

『屋根の裏のバイオリン弾き!』

 梁が下りると生徒会室から屋根裏へと空間が瞬時に移行するというユニークな工夫と、あどけないのびやかさ、溌剌としたパワーが印象深い作品。ただ、ナンセンスコメディーの展開が後半、突然記憶と忘却のテーマへと集中していく劇構造が拙く、随所にご都合主義が感じられたのが残念であった。ナンセンスな展開をそのままラストまで貫いた方が面白かったようにも思われる。 

『あげとーふ』

 この作品の生命は躍動感溢れる役者達個々の演技にある。それがこの作品の劇構造にマッチして独特の魅力を醸成している。あげとーふ(I get off)で馬車を降りてしまう劇の動機設定自体、着想はユニークではあるが、後半突然示されるケンの苦悩との関連等、不自然さが否めない。在日の問題の挿入も巧妙だが、作為的傾向を否定出来ない。ただ、それらの問題を凌駕するだけの力強い若者の存在感がこの舞台には確かに存在した。

『紙屋悦子の青春』 

 松田正隆独特の優れた劇世界を見事に舞台化しえた作品。表現化する上で難解な、戦中の男女の姿を完成度高く端正に表現し、大幅なカットにも関わらず、台本の魅力をそれ程損なわなかった事は高く評価したい。ただ悦子達のリアリティーある演技に比して、老夫婦の演技の未熟さは残念であった。又明石の去り方、赤飯とらっきょの台詞など、カットの為展開上無理が生じた点が気になった。

『うおーっっ』 

 元気一杯の集団演技で戦争物に挑むその溌剌さが好感を呼んだ作品。ただ取り扱いの難しい題材に対し、一見異色なアプローチに見えながら、結局定番の戦争物に終わっていったのは残念であった。幼稚に軽薄に騒ぎあっていた生徒達が、戦争の話題になると突然知性的に変貌してしまう劇構造には大きな問題を感じる。戦争に対し軽薄なノリノリ精神のまま最後まで貫く潔さが欲しかった。

『躾 〜モウと暮らした50日〜』

 劇全体を力強く覆っている素朴さ、それこそがこの作品の魅力の全てである。確かに演出的、劇作り的に稚拙な点は多々ある。しかし、それを吹き飛ばしてしまう力がこの劇には存在する。そしてそれが現代を生きる私達の心を洗うのだ。家族の戯画化した描き方には賛否二分するところだが、思い切りの良さが全てを納得させる。山田さんのやる気なさと牛との交流が、何とも言えない切ないリアリティーを醸成して秀逸である。

『塩原町長選挙』

 過疎の村での奇想天外な話を、素舞台で男の役者達がダイナミックに展開する、その溌剌とした演技の力強さが印象的な作品であった。随所に演出面の工夫が凝らされ、ナンセンスコメディーとして徹底的にばかばかしさを皆で楽しんでいる姿が清々しく、そのせいかラスト近くの老いた父の都会志向批判の演説が妙に説得力をもって響いた、シンプルな秀作である。

『笑 い 女』 

 謎に満ちた独特な脚本世界の魅力が際だった作品であった。幼少期への感傷性自体は月並みだが、そこにエロスと暴力性がむき出しに提示されている。それは人の深層心理の剔出への鋭い力を感じさせた。ただ惜しむべきは、演技、演出の力不足だ。もっと空間を狭く限定し、更に役者の身体表現をより際だたせれば必ずや優れた劇世界として構築される、そんな豊かな可能性に充ちた作品である。

『ラビット・アイズ』  

 演技のレベルも含め、完成度の極めて高い、素直で暖かな眼差しに充ちた作品であった。しかしその分人物造形に捻りが無く、展開が単純で先が読めてしまうきらいがあったのは残念である。スウィートで心地よい作品として高く評価されるが、一方、その破綻の無さに物足りなさを感じてしまうのも事実である。

『シャドー・ボクシング』

 いじめを主題とした石原氏の脚本を、装置も含め完成度高く仕上げた優れた舞台。主題へのアプローチの仕方が独特で印象深い。勿論それは祖母の存在感がもたらすものだ。祖母の老け役の演技は秀逸であった。ただいじめを巡る会話がごく一般的、図式的な域を出ず、全体的に重苦しく、祖母の存在が芝居としての力強さにまで達しえなかったのが残念であった。

『七 夕』

 独居老人に群がる悪徳商法の問題を取り上げ、演技演出も含め丁寧に練り上げた作品。祖母の演技にもリアリティーがあり良質のウェルメイドプレイともいえる。だが孫の姉妹の設定など、随所にご都合主義というべきものが見受けられ「劇の嘘」が気になった。ただラストの祖母には孤独の切なさが滲み出ていて印象的であった。

(大阪府金蘭会高校演劇部顧問)

 全国大会に参加し始めて三十年近くになる。でも、昔感じた大会初日のワクワク感は今も全く変わらない。今年は審査員ということで参加したが、大会直前の兄の死、直後の自分の劇団の公演と慌ただしい日程に追われた。にもかかわらず、高校演劇の行われている場に腰を下ろすと、不思議な優しさに包まれた気分になってくる。そんなとき思う。高校演劇を続けてきてよかったと。大会に関係した全ての皆さん、すてきな大会をありがとう。以下、高校演劇を愛する者の一人として、上演校への私の素直な感想をお届けしよう。

『ウエスト・サイズ・ストーリー』 美術部室での平凡な日常風景。どこにでも転がっていそうな日常会話が延々と繰り返されていく。変にわざとらしいドラマ性を盛り込まない芝居作りは清々しいが、かといって見ている者に共感も反感も呼ばない舞台はドラマとして成立するのかという基本的な部分で疑問を抱かせる。結局舞台の上で動いたのは「ありのままが一番」という、その一点だけになってしまった感がある。

『寂寞のせせらぎ』

 素直な芝居作りには、とても好感が持てるが、あまりに素直すぎてストーリーがスムーズに流れすぎた。もっとドラマの流れをせき止めたり、逆流させたりして観客を引きつける工夫が欲しい。脚本の前半を大きく刈り込んで、その分きめ細やかにテーマに踏み込んだ芝居作りを工夫することが必要だろう。脚本の半分過ぎになってやっと芝居の輪郭が描き出されるのではもったいない。また、舞台を大胆に二分していたが、上手空間は狭めて補助的にでも使用するのでなければ、重すぎる。

『屋根の裏のバイオリン弾き!』

 大胆なセットには目を見張るものがあったが、芝居の作りは荒い。コミカルでナンセンスなやりとりを延々続けた後、いきなりシリアスでセンチメンタルな展開へ持って行き、破天荒な結末を盛り込んで幕を下ろすが、各所に盛り込まれた「ドラマの嘘」(例えば屋根裏部屋の塵の問題や、そこで見つかったバイオリンの処理の問題)に、見ている者はついていけない。タイトルに見合うように「桜」にもっと焦点を当てて、ドラマに深みを持たせることを提案したい。

クラブのパワーは十分と見た。

『あげとーふ』

 西部劇にでも出てきそうなよくできたセット(あれで野宿はないでしょう)、ダイナミックな演技で観客をよく引きつけていたが、大事な台詞をきちんと客に伝えるためのメリハリを付けた発声の工夫が欲しい。芝居の作りも少々乱暴で、ケンの自殺願望、ヒメの勘違いなどといった大事な部分がうまく伝わってこなかった。タイトルも面白く、アミーゴの創造などにも作者の確かな力量を感じさせてくれただけに、ラストにもう一工夫欲しかった。

『紙屋悦子の青春』

 台本をここまでカットしては原作の持つ味と香りが無くなるのではないかと心配していたが、丁寧な役作りで十分見せてくれた。(カットされた部分に惜しい台詞がたくさんあったが、欲を言えばきりがないだろう)九州弁もよく練習しており、私などにも全く違和感を感じさせなかったのは研究と練習の成果であろう。ラストの波の音を聞く二人の存在を現在と過去の両者とそっくり入れ替えてあったが、計算された工夫に感嘆した。

生命線であった桜の存在感を増せれば、更にすばらしかっただろう。

『うおーっっ』

 脚本が出来ず、苦しみの余りの叫び声とWARを掛けたつもりだろうか、それにしても演劇に対する視点が全般的に甘すぎる。自分たちの何としても伝えたいことはこれで、この表現手段しかないというところを芝居にして欲しい。そのためには脚本選びの視点の形成など、地道な日常活動の積み重ねが大切となってくる。

『躾 〜モウと暮らした50日〜』

 素直な芝居作りは好感が持てるし、工夫を凝らしたセットや高さを利用してのエンディングなどに見るべきものがあった。九年前同校が鳥取大会で演じた「実 〜僕が水をくれるのを〜」と、スライドの使用・農業高校嫌い・同級生との隔絶・臭いへの恐怖と除糞作業・飼育動物のパントマイム表現とそれへの愛情の芽生え・友情の芽生え・体験発表などに類似点が見て取れるが、身近な体験を芝居にするとなるとそれもやむを得ないのだろう。しかし、メインタイトルである「躾」が十分に書き込まれてないことが最後まで気になったし、不必要なオーバーアクションはかえって興を削ぐ。

『塩原町長選挙』

 今から十五年ほど前、おそらくこの芝居が出来て間もない頃だろうが脚本をいただいて読み、そのおもしろさに惹かれた。今回の栃木高校も現代風の潤色で、そのダイナミックな演技と共に十分観客を魅了した。多人数のキャストの個性もよく出ていたし、見事な演出に拍手を送りたい。

『笑 い 女』

 幼い日々の記憶をノスタルジックに描いてあるが、意図的にそうしたのか、はたまた破綻したのか説明のつかない部分が相当盛り込まれている。いったいどの時点で振り返った明夫を書きたかったのか。「メッセージなんてなにもない」と言われても脚本と演出との間にある疑問は消えないのだが。

『ラビット・アイズ』

 人形劇の人形の台詞と登場人物の心象風景をうまく噛み合わせてあり、青春の満たされない悲しみがスッキリと伝わってくる。過剰な仕掛けを使わず、正攻法でどこまでも切なさを追いかけた芝居作りは新鮮ささえ感じられた。欲をいえば、幕開きのアテレコは邪魔である。せっかくの清新なドラマの展開に、逆効果をもたらした。

『シャドー・ボクシング』

 名作で何度も上演され、それだけ見る側から他と比較されるというハンディはあるが、この学校なりに一生懸命演じていたのはとても好感が持てた。ところがその真面目さがこの芝居をシリアスに演じすぎて、重すぎる舞台になってしまった。一例を挙げるなら、作者が最初の頃書いていた、伸のオートバイに二人乗りして海まで疾走するような魅力的で可愛いおばあちゃんを描くようなタッチで全体をもっと軽やかに仕上げたならば、より面白かっただろう。

『七 夕』

 一言で言えば盛り込みすぎ。書きたいことを焦点を絞って深めていくと随分違った展開を見せた芝居になったろうと思われる。七夕というタイトルも生きていない。ラストシーンであの品のいいおばあちゃんが短冊に手をかけるところで使われているが、いっそのことそこから芝居をさかのぼって作り替えてみたらいかがだろうか。もっと面白くなるだろう。 

         (熊本学園大学)


たくさんの出会いと 私を変えた夏と 新しい風
田中 佐葵
 生徒講評委員会では、三日間に上演された十二校の上演作品を講評しました。北は北海道、南は長崎県、全国から集まった十五名の高校生で生徒講評委員会を行いました。

 昨年の京都大会を視察したときには、翌年の島根大会で生徒講評委員長をするなんて考えてもいませんでした。京都大会生徒講評委員会の感想は、「何て大変な活動なのだ。討論が飛び交っている。同じ高校生なのにこんなに熱い討論を交わせるなんて」という素朴なものでした。

 その後、昨年の中国大会、今回の全国高等学校総合文化祭島根・07と二回の生徒講評委員を経験することができました。

 今回の大会では生徒講評委員長として参加したのですが、最初は「私なんかが生徒講評委員長を務めることができるのだろうか」と、大会前にはなかった不安とプレッシャーに押しつぶされそうになりました。しかし、一日目、二日目、そして最終日になるにつれて、最初に感じていた不安やプレッシャーが消えていきました。

 私自身もそうだったのですが、初めの内はみんなが、記録をお取りになる先生から「もっと大きな声で」と言われていましたが、討論を重ねる内にはきはき、しっかり、大きな声で討論を交わすことが出来るようになっていきました。

 最終日に行われた第五分科会では、集まりが遅くなり、合評会の時間が押してしまうというハプニングもありましたが、合評会途中で最終日の上演作品の講評文も無事仕上がるという嬉しいこともありました。

 今回の大会で、生徒講評委員長を務めることができて本当に良かったと思います。初め私は、内向的になり、自分のことを信じることが出来なくなってしまうのではと思っていました。でも、一度「大きくしっかりとした声を出そう」と決意してからは、声も出るようになり前向きに活動に取り組むことができました。生徒講評委員会の活動をとおして、喜びと嬉しさを感じることがたくさんあり、演劇活動をする上でとても大切なことを学べたと思います。

 出場校の作品すべてを見て、それぞれの舞台から様々な感情や気持ちを受けとりました。また、各学校のナマの舞台を見、演技の一つ一つが勉強になりました。「悠久の地より吹く新しい風」という大会テーマのように、島根県からの「新しい風」となって、今後の演劇部活動にいかしたいと思いました。

 生徒講評委員会の活動をとおして、他のメンバーの部活動の様子や将来の夢など様々なことを知り、学ぶことができました。この十四名のメンバーと出会い、多くのことを話し合えたことを、本当に良かったと思っています。

 生徒講評委員会 委員長
(島根県立松江農林高等学校三年)

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