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「かつて、男と女が愛し合った革命という時代があったのです」
『飛龍伝』という芝居の中で、私はこんな台詞を書いた。今では学生運動も教科書で習う出来事の一つでしかありえないものだが、あの時代、若者たちは、明日を見つめる瞳を持ち、「安保反対」「闘争勝利」とこの国の行く末を憂いながら闘っていた。その頃、大学生だった私は芝居の稽古に明け暮れていた。ある日、稽古場に学生たちが駆け込んできて、「日本がこんな時だというのに、こんなところで女とチャラチャラしてて恥ずかしくないのか」と罵られたことがあった。正直、私は恥ずかしくて仕方なかった。あまりに恥ずかしく学校へ行く足も進まなくなり、ついには中退してしまった。しかし、闘士たちがいざ卒業という時期なると、薄汚いヘルメットやヤッケを捨て、紺の背広にネクタイをしっかりと締め、やれ銀行だ、公務員だと就職を決めていった。彼らは思想や自分たちの青春を捨て、志を失いながら、社会の中に飲み込まれていったのである。いま、彼らが飲み屋でクダを巻き、かつてオレはと昔の傷を見せ合いながら盛り上がっている姿を見ると、憤りを通
りこし、空しさを感じるのである。この世代が上に立つ時代になったから、今の腐敗した日本があるのだろう。志をなくした世代、志をなくした国、それがいまの日本である。国とは志のことである。そして志とはいつまでも夢を見続け、自分の見る夢に筋を貫き通
す力のことである。私が東京都の北区に劇団を作ってから、まもなく十年になる。多くの無名の若者たちが胸にいっぱいの夢を抱えて、オーデションを受けにきた。中には、一流の会社を辞めて受けにきたものもいる。医科大など一流大学のものもいた。みな自分の人生に悔いを残したくないという思いをその場で思う存分に出し切っていた。が、役者などという世界は難しい所で、生き残れるのはほんのわずかである。人を魅きつける力を持つ者、日常を生きている人たちに現実を忘れさせ、希望を持たせる瞬間を送り届けることができる者、それが役者である。そのためにはその人がいかに生まれ育ってきたか、人生にいかに誠実に生きてきたかが問われる。そもそも舞台なんて演技だけで持たせられるのは十分もない。三時間の舞台の残りはその人の生きてきた道のり、かいてきた恥の全てをさらけ出し、そこから見えてくる真実の姿を見せることで、人間の生命力の可能性、希望という言葉を与えていくものなのだ。芝居などF1レースのようなものだ。技術的には車庫入れなどの方が難しいこともあろうに、なんであんな同じコースを回っているだけのレースに世界中が熱狂するのであろう。それは、デッドライン、ギリギリのところで戦い続ける人間の姿があるからなのだ。これ以上を越えたら死ぬ
かもしれない、その死と隣合わせのところで戦う姿が人々の胸を打つのだ。舞台の上に立つ役者も同じこと。それに達することができない者たちに、アコギな世界を選ぶより、違う道を歩みなさいと諦めさせるのも演出家の仕事なのだ。「お前はむかんから田舎で農業でもやっとけ」と言ったら、数年後手紙がきて、「今年も豊作です」と書いてあったことがあった。そんな人たちのためにも、私たちは嘘の芝居を作ってはならない。最後の最後まで筋を貫き通
し、志をもって芝居と向かい合わなければならないと思うのだ。かつての筋を通
せなくなった闘士たちの情けない姿を見ながらつくづくそう思うのである。芝居を続けていこうという皆さんがいつまでも志を持っていてくれることを信じている。またその志なくして役者への道を歩めば、必ずつまづく時がくるはずだ。役者の華とはなにがなんでもハッピーエンドに導く力のことだ。次世代の演劇人となる皆さんがその力を磨いていくことを楽しみにしている。
(第48回全国高等学校演劇大会プログラムより)
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