上演6

静岡県立三島南高等学校

「うぉーっっ」
  



 










 

第31回全国高等学校総合文化祭
第53回全国高等学校演劇大会
生徒講評委員会速報
 

担当講評委員
 長野 涼子(群馬県 高崎経済大学附属高校)
 浜田 美緒(愛知県 藤ノ花女子高校)
 為永 祐輔(長崎県 瓊浦高校)
 
 



































 

 大会本番を1ヶ月と2週間前に控えた演劇部。その部室から物語は始まる。演劇部は本番が近いにも関わらずまだ台本の内容決めをしていて、その中で戦争を取り扱うことが決まる。『うぉーっっ』という印象に残る作品のタイトルは、大会まで時間がない部員たちの叫び。また「うぉーっっ」と「War(戦争)」をかけていたようだ。

 舞台美術については、幕が上がった瞬間に舞台が部室であることが明確であった。しかし部室の窓を絵にしたことに疑問があった。また、狭い部室から劇中劇に移った時、舞台が広くなった。舞台が広くなりすぎてさびしいという意見や逆にさびしさが戦場を表しているという意見も講評委員から出た。しかし世界が一変したことによって、とても驚き、惹きつけられたという意見も出た。

 舞台下手の花道に設置された、時間経過を表す日めくり(?)の発想は、斬新で面白かった。しかし「次の日」や「昨日」という表現は時間経過に混乱を招き、逆に分かりにくかったという意見も出た。カウントを表すのならば「一ヶ月前」という表現に統一したい。カウントが進んで、ラストに「一週間前」という巻物がでてきた。それは大会目前という時間の無さを強調している。そこで部員が「うぉーっっ」と叫ぶことで、「いま出来ることをやるしかない!」という気持ちを感じさせた。

 命の泉を求め、二つの国が争う劇中劇。戦争をするのはお互いの国にそれぞれの主張がある。そのシーンを演じていく中で小田ちゃんは自分たちが戦争について何も知ることができなかったと気付く。それは戦争を体験したことがない私達観客にも通じるものがある。小田ちゃんが葛藤し、「違う!」と叫ぶシーンは、同じように演劇を作ろうとしている私達の気持ちそのものを表していたのではないか。

 前半はパワフルな演劇部を自然に演じていて、後半では戦争を経験したことがない登場人物が戦争を語ることについての疑問を訴えていた。私達講評委員にとっては話題が身近で、考えさせられる作品だった。
 



































 
 


上演7

岐阜県立岐阜農林高等学校

「躾 〜モウと暮らした50日」  


 










 

第31回全国高等学校総合文化祭
第53回全国高等学校演劇大会
生徒講評委員会速報
 

担当講評委員
 江角 有香里(島根県 出雲高校)
 清木 麻衣 (山口県 華陵高校)
 星川 渓  (北海道 札幌稲雲高校)
 
 









































 

 自然と涙がこぼれてしまう、そんな舞台だった。

 オープニングの仔牛のスライド、照明がついてからの高低差のある舞台、実体験に基づくストーリー、etc・・・。迫力と説得力のある舞台だった。一時間の中に、牛の花子の病気と処分、山田にできた川島という親友、そしてモウの誕生と家畜商への売却というたくさんの内容が含まれているのに、長いとは全く感じられなかった。それだけ集中して見ることができたということだろう。

 はじめは牛をどうやって表現するのか疑問に思ったが、すべてマイムで表現しきったのには驚いた。しかし実際に牛を見たことがない人もおり、牛の大きさや動きなどがわかりにくいという意見があった。

 農林高校ならではの現実的なセットは高さがあり、舞台上を広く使っていた。暗転を使わない舞台転換はきれいで、同時に劇も進行するので転換を気にせずに劇を見ることができた。ただし、舞台がどこを表しているのかわかりづらいと感じた人もいた。

 タイトルの「躾」という言葉の意味については、モウをしつけると同時に世話をしている山田自身もモウによってしつけられている、つまり不真面目な性格が矯正されているという意見や、発表しているスライドのタイトルではないかなどいろいろな意見が出た。しかしきちんとした結論にまとまることはなかった。

 主人公である山田は、入りたくもなかった農業高校でやる気のない態度を見せる女子高生。そんな山田が、授業で仔牛のモウの世話をすることになった。
 脚の一本が不自由なモウは、どんなに長くても50日以内に殺されてしまう。そんなモウの世話、そして友達の存在を通して山田は徐々に成長していく。率先して応援団に合わせて声を出し、嫌々やっていた除糞の仕事もスコップが使えないときには素手でするまでになっており、声もやる気に満ちたものになっていた。このような山田という役を役者がとてもうまく表現していた。

 乳房炎になった乳牛の花子を逃がした山田の行動から、家畜として殺される動物を助けたいという彼女の意志が見えた。殺されるモウを山田が家で飼おうとしたのは、花子を助けられなかったせめてもの罪滅ぼしではないだろうか。

 劇中では「頑張ればなんでもできる」という台詞がでてくる。しかし、「頑張ってもどうしようもないこともある」という台詞もでてくる。それは、台本の「はじめに」に記されている、この演劇部の経験によっていた。牛の出産に立ち会ったが、生まれてきた仔牛は死んでしまったのだ。
 人の力ではどうにもできない「生」と「死」ということをほとんど同時に経験した彼らの言葉には、重みがある。

 









































 
 


上演8

栃木県立栃木高等学校

「塩原町長選挙」
  



 










 

第31回全国高等学校総合文化祭
第53回全国高等学校演劇大会
生徒講評委員会速報
 

担当講評委員
 吉田 恭大 (鳥取県 鳥取西高校)
 金澤 未咲 (徳島県 鳴門第一高校)
 田中 佐葵 (島根県 松江農林高校)
 
 







































 

 人口50人、町民の調味料は塩だけという日本一の塩の町、塩原町。
 町長の死をきっかけに、新しい町作りの中でソース派と醤油派に町中が二つに割れて、バカバカしい選挙戦が繰り広げられる。

 タイトルの「選挙」という言葉のイメージからどこか堅苦しい舞台を想像していたが、いい意味で裏切られた。選挙という政治活動そのものを皮肉ったかのような強引な設定もさることながら、会話には随所に笑いがちりばめられており、「ソースか醤油か」という一見どうでもいいことを巡って真剣に争う町民達の姿に、客席では笑い声が絶えなかった。今大会唯一の男子だけの舞台というだけあってか、とてもエネルギッシュな動きが多く見られた。ネタの一つ一つも男子高校生ならではのセンスが溢れていて、バカバカしさが生きた芝居だった。町唯一の小学生、塩吉の日記の朗読により場面は進行し、同時にほのぼのとした雰囲気もあった。

 幕が上がると、セットも何もなく、中心にちゃぶ台が置かれただけの舞台。その後も基本的に舞台上には何もない。凝った、大がかりな舞台装置が多い全国大会の上演作品のなかで、逆に広い空間を自由に使えるシンプルな舞台や照明が、役者達の躍動感を増幅させるという意味でも非常に効果的であった。一時間を通して見通しが良く、動きのある舞台となっていた。それが何もない田舎で、登場人物を強調する役割も果たしていたという意見もあった。

 都会のメディアの力を借りて町を有名にし、過疎化の現状を変えようとするソース派と醤油派の若者たち。町の伝統の塩を大切にし、本来の町の姿を守りたいという塩吉の父親たち。どちら側の人々も町の未来を思っているのに、その行動は決して相容れない。彼らが真剣に対立すればするほど、町そのものが無くなってしまうかもしれない過疎という過酷な現実の重さが突きつけられる。

 「多数決」という民主主義の建て前の上で、都会に切り捨てられる田舎という構図が、ソース化、醤油化の波にさらされる塩の町塩原という設定に現わされていたようにも思えた。途中登場するTVリポーターの「馬鹿ですよねぇ」という問いかけに笑ってしまう私たちは、知らず知らずのうちに彼らのような少数派を切り捨てているのかもしれない。笑いの中にふと考えさせられる場面もあった。


 選挙が一段落して、塩吉の卒業式で舞台は幕を閉じる。おそらく過疎の現状は何一つ変わっておらず、塩吉を最後に小学校も閉校になってしまう。元気よく将来の夢を語る塩吉とそれをやさしく見守る町民たち。一見幸せな光景の中に、悲しい未来を暗示させる「祭りの後」のような、どこか寂しい印象を受けるラスト・シーン。滑稽な笑いの影に、哀しみが見え隠れする舞台だった。
 







































 
 


上演9

島根県立三刀屋高等学校

「笑い女」
  



 










 

第31回全国高等学校総合文化祭
第53回全国高等学校演劇大会
生徒講評委員会速報
 

担当講評委員
 江刺家 茜(千葉県 八千代高校)
 岡田 大志(兵庫県 伊丹西高校)
 下畦 華奈(広島県 清水ケ丘高校)
 
 





































 

 幕が開くと、なにやら部屋らしい場所で何かを片付けている一人の少年がピンスポットの中に浮かび上がる。捜し物の中から「犬の首輪」を見つける少年。彼はいったい何をしているんだろう?その答えが私たちに示される間もなく、舞台中央奥の窓ガラスの向こうに、四つの人影がシルエットで浮かび上がる。照明が徐々に明るくなる。それは窓から廃屋に忍び込もうとする子供達であることが分かる。後にそれは子供達が廃屋につくった「秘密基地」のようなモノであることが明らかになってくるのだが、これから先の展開が全く読めない、なぞめいたオープニングである。

 丁寧かつ大規模に作られた舞台美術。夕日の中に照らされるシルエットが何度か登場したが、とても美しく印象的であった。また、歌詞を聞かせた音響は劇中の雰囲気と大変合っていた。特に女性のボーカルの曲が耳に残った、という講評委員もいた。スタッフの高いレベルを感じた。

 現在の明夫と過去のアキオが一致する場面が多々みられた。特に、バットを一緒に振るシーンで明確に二人が同一人物であると確信を持てた。
 飾り気がなく、裏がない子供の純真さが、余計に残酷さを増していた。純真だからこそ私たちの心に、子供の持つ心の闇が突き刺さってくる。たとえば人形と人形をぶつけ合ったり、動物をバットで殺してしまうところがあげられる。また、いつもは無表情なエミが、ラスト直前で「エミはいつもこんな顔。」といって不自然に笑う。それが、まるでエミの心の闇と孤独をひたすら隠しているように感じられた。しかし、演出やセリフの詩的な言い回しなどで、恐ろしくも美しいと感じさせられるのがこの劇の魅力である。

 この芝居のタイトルである「笑い女」とは一体誰だろう。劇中には、子供たちの遊ぶ姿を影から見ている「日傘の女」が登場する。本当に彼女が「笑い女」なのだろうか。講評委員の間では、「エミ自身が笑い女である」という意見や「エミの母親」、「アキオの母親」である等、さまざまな意見が出た。

 この芝居自体を理解するのが難しい、という意見が多数出た。それでも舞台全体に、毒々しいのに、だけど透き通っているような様式美を感じ、心惹かれる舞台であった。 
 





































 
 


上演10

大分県立日田三隈高等学校

「ラビット・アイズ」
  



 










 

第31回全国高等学校総合文化祭
第53回全国高等学校演劇大会
生徒講評委員会速報
 

担当講評委員
 小林 真奈美(広島県 清水ヶ丘高校)
 飯塚 陽平 (岡山県 岡山後楽館高校)
 新田 真子 (岩手県 福岡高校)
 
 




































 

 卒業式の後、夕日が差し込む人形劇部の部室。浩次に想いを寄せる美帆と君枝を想う浩次、そして別な人を想う君枝。告白するチャンスがありながら最後まで誰も想いが伝えられず何とも言えない切なさを感じた。

 絵に描いたような正統派の恋愛、どうにもならない恋愛の様子などが青春らしい。そして、そのような甘ずっぱい青春も高校生活の終わりと共に終幕に向かう。沈んでいく夕日がそれを表しているようでさらに切なさを誘う。

 「泣いてもいいよ」というこの一言が、感慨深いものであった。
 この劇には、大きな盛り上がりは無い、ドラマはいつも人物の内面で起こっている。それがリアリティを生み、登場人物への感情移入を容易にさせた。
 牛の「も〜」「ムームー」という泣き方は言葉にして伝えられないじれったさを含んでいるよう感じた。そのような気持ちが積み重なって「折合格」という熟語に現れたのでは、とも思う。

 浩次が双眼鏡で客席を見ている演出は観客側に「見られている」という感覚を作り出し、観客を集中させていた。舞台は、彼らが上演した人形劇である『ラビット・アイズ』の記録写真などの見えない細かな部分への心配りが素敵である。
 入部してはじめて演じた人形劇でうまく演じられずに、泣いてウサギのように赤くなった目。それは美帆にとって大事な思い出。もう一つは、幼稚園のクリスマス公演での牛の話。美帆の浩次への想いを踏まえて幕開き前に流れた台詞を思い返すと、「も〜。ちゃんと目を見て。タナカ」「も〜。照れるじゃん。ヨシダ」などの台詞にドキドキした。妄想かと思わされるこれらの台詞は、とてもストレートに語られたもので照れくさい。

 直接には言えない、だけど人形でなら伝えられる。人形でしか伝えられない。人形の力を借りれば伝えられる。
 顔を見て話せない。でも、人形を使うと相手の顔を見ずに言える。人形に目がいくから視線を合わせないで済む。自分だけど自分ではない何かに託すことによって本当の気持ちが言える。そんな心のひよわさは人間らしくて、観ていて愛おしく切ない。