審査員講評
大震災を友情で乗り越えて

篠﨑 光正

 高校演劇にも大きな爪あとを残した今回の震災は、全国大会にも歴史的な記録を残すことと成った。福島で行うことが出来なくなった大会が、全国の演劇部顧問の先生方や生徒たち、その他関係者すべての篤い友情により香川で実現したのである。この友情に審査員の一人として感動した。そして例年通り今年も最優秀賞・優秀賞作品を選抜できたことに感謝。

 香川県立高松工芸高校『Stick Out』

この作品は、自分たちのやりたいことをすべてやったという意味で、高校演劇らしい若さ溢れる舞台であった。場所の設定にも工夫が見られた。しかし、創り手の思いとは逆に、自分たちが考える劇的な人間関係や他人の心をうつ感動について、舞台を通して観客に説明する直球芝居となってしまったのはいささか残念である。さて問題はリアリティをどのように考えるか。演劇は文字で表現される小説などと異なり、見た瞬間に人間関係を感じ取ることが出来る、極めて合理的な表現手段であるが、その源泉となる力こそ表現のリアリティに他ならない。しかし登場する先生の性格は矛盾を解決できずに破綻し、乱入する男女の存在にもリアリティがない。この作品のように、漫画の設定とストーリーを選んだからには、表現の方向性も潔く選ばなければならないだろう。写真のように写実的なリアリティを追い求めるのか、批評精神がいやでも働く漫画のようなキャラクターにするのか。そのどちらも結果として成立するが、やはりその判断がほしかった。また、バンドを絡ませるのは、良い演出であったが、場面をつなぐだけで無く、観客に登場人物の本音を表現する内面の表現に使えば、ドラマを弾ませることが出来たはず。センターに位置づけるくらいの思い切りの良さが必要で、猛練習もリアリティを得るためにも必要である。

 愛知県立新城東高校『親の顔が見たい』

高校の教育現場に内在する問題を真正面から取り組んだことに感心した。教育の現場で親の存在が大きくなる今の学校の現実に、どのように向き合えば良いのか。これからの教育現場が抱える難題を鋭く描く。問題はいじめと自殺を軸に展開するドラマが、筋とキャラクターの説明に追われ、説得力に欠けていく点にある。本来なら冒頭の自殺のくだりから、誰が、どの生徒が中心だったのか、その主犯格をめぐってぐいぐいと観客を引っ張るサスペンスドラマになるはずだが、学校と親は協力すべきというわかりやすい導入で走り始めたドラマが、やっと動き出したのは店長の登場からである。あまりにも説明に時間をかけすぎた。しかもこの後に母親の登場という山場を迎えることになるのだが、やっと動き出したと思ったら、母親が登場し、あっという間に終わってしまう。取り組みはよかったのだが、なにもかもが中途半端になってしまった。二時間のドラマを半分にするような大手術は、登場人物も半分に減らすという潔い決断が必要である。

 岩手女子高校『Colors 』

友情のテーマがわかりやすく、また、高校という自分たちの日常にある世界を描く手軽さが、表現の中で出演者たちに心地よい自由を生んだ。力まず演じることができる環境が整った。問題は、ドラマ性の認識の無さで、なにがドラマなのか。この認識上足がさまざまなところで、顔をのぞかせた。開演後なかなかドラマが始まらなかったり、日常会話の連続になったり、フラッグづくりでは、舞台を流れる時間が演劇的時間ではなく現実の時間の流れになってしまったなど。一方、なぜ財布を盗んだのか、なぜ先生は財布を戻すのを黙認したのかなど、重要なドラマが曖昧にされ、ラストのカラーの演出も説明的な場面となってしまった。

 山口県立華陵高校『カツっ!』

台本、演出、上演と三拍子がそろった秀作であった。特に三重に構築された台本の劇的構造は、一時間という短い上演時間内でテーマを重層化することに成功した。基本のテーマを「天才と凡才《におき、努力を重ねる主人公が、「がんばり屋《として周囲の人間たちに対して軋轢を生んでいくという、人間の普遍的葛藤を描き説得力があった。また、その主人公の母がすでに他界し、祖母をその母の代わりに登場させたことにより、主人公の葛藤をより明確に表現できたことも台本の手柄である。一方ドラマを引っ張る劇構造には、『愛情』を設定して、主人公の弟が天才役に好意を寄せるストーリーが心地よく観客をドラマに誘い込む。重層構造を象徴する舞台美術は、過去にも部室にも自宅にもラジオスタジオにも、あらゆる空間に奥行きを生み、演技に膨らみを持たせた。また、演技の裏づけとしてトランペットやクラリネットで優れた演奏力を示し、部活のリアリティを充実させたのもボディパンチのように観る側にずしりと効いた。ただひとつ、詰めが甘かったのは、弟が亡母にしたという行為のリアリティであり、ここが解決できていればさらに舞台成果は高まったに違いない。

 群馬県立前橋南高校『荒野のMärchen』

前衛劇の匂いをぷんぷんさせた芝居ごっこスタイルが、開演当初はなかなか馴染めず観る側として甚だ苦労させられた。しかし、昔話や昔のアイドルなどの吊前を使い、面白さとともに語りの世界へ強引に導いていくため、途中からなにか目的があるのではないかと期待に胸を膨らませたが、終わってみれば何もなし。シチュエーション換えという手法だけだったことがわかり、残念無念。

 津曲学園鹿児島高校『窒息』

教室の芝居として、生徒たちのリアルな台詞がぽんぽん飛び出してくるのが心地よい。火山灰という地域限定の言葉から、窒息を引き出すのは、少々説明的だったが、やりたいことはよくわかる上演であった。問題はストーリーの構成である。開演からドラマが生まれず動かないので、転校生の登場からドラマをスタートすることはできなかっただろうかと観ながら真剣に考えた。また、先生と達也との関係。このドラマが軸になるわけだが、それにしては、先生と達也のアルバイト先の場面が上十分で、あれでは人のこころここにあらずで、言葉足らずの場面であった。また、先生がすぐに本心を話すのはいかがなものか。やはり、ここにドラマを膨らませる工夫が必要であった。

 福島県立大沼高校『ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~』

高校の部室と過去の世界が交錯し、男たちの友情が燃え上がる。二重構造の劇的世界で白虎隊に真実を求めて、過去の世界をめぐる。と、こういう目算だっただろうが、残念ながら、ドラマは一向にうねらなかった。原因はやはり、白虎隊を絡めすぎたからだろう。こころのやりとりに戻ってドラマを創ることに専念すれば、もっと面白い舞台が出来たに相違ない。しかし、この企画は白虎隊あっての企画なのか。もし、そうなら、心の中で白虎隊の過去に生きている存在に仕立て上げるのは、どうだろうか。狂気か正気か。そうすれば、スピード感を持って、二つの世界を行き来できるに違いない。

 大谷高校『逝ったり生きたり』

漫才といえば漫才かもしれない。この瞬間に生きる演者として、今現在を語っている姿は、やはり漫才に違いない。しかし、テーマは大きい。こんなにもリアルに、生死の間をさまようドラマを、あまり目にしたことはない。しかも生死の境を演じる姿は、生命力あふれる命そのものであった。その迫力にしびれた。問題は台詞のやりとりに出演者が必死になりすぎ、その瞬間に生み出さなければ成立しない心が、嘘になってしまうところが多く見られた。しかし、嘘はいけない。何百回稽古しても、毎回ほんものの心を生み出してほしい。この舞台を観ている間、何度も秋浜作品の「冬眠まんざい《という秀作を思い出した。この作品も自由そのものであった。

 愛知高校『紺屋高尾』

古典落語ときたか。なるほど。観終わってやはり古典の作品は強さを持っているなと感じ入った。面白いところに目をつけたと感心したのと同時に、このストーリーのような純愛ものは、高校生に馴染むテーマに違いないとも思った。問題はその表現であるが、役の人物の描き方や、舞台の大道具、小道具、衣装など。また、効果音にしても、環境を表現するには町の効果音も必要であるが、男女の出会いとなると、その当事者である男の心情を表す音楽などを使いたかった。

 北海道北見北斗高校『ぺったんぺったん!』

廃校となる校舎への悲哀と卒業生たちのそれぞれの思いを丁寧に演じていたことにより、舞台全体に甘酸っぱい恋心の演劇的時間が流れた。こういった過去への思い出は、ドラマティックに展開することが出来るが、実際の餅の登場でますます過去への説得力が出た。ただし、問題はもっともドラマを膨らませることが出来る彼女が一人になる場面である。そこでは、彼女の本音を観客が感じ取る重要場面であったが、出演者は日常のリアリティづくりに追われて劇的表現は皆無に等しかった。特にこの場面のように観客のこころに劇的な感情を生むには、登場人物の秘密を垣間見せなければならない。登場人物の本音は一人になった時だけ、観客は覗くことが出来るが、高校演劇ではこのことがなかなか理解されず、登場人物に台詞で本音を語らせることが多い。また、ラストシーンで高校生の過去と現在を同時に表現できる餅つきは、友情を表現する上でも、餅をこねる人と餅を搗く人の絶妙なアンサンブルをたっぷりと稽古を重ねて迫力を持って見せてほしかった。

 清泉女学院高校「モンタージュ ~はじまりの記憶~《

作品上は二人芝居であるが、そこに三人登場させたことにより、台本上は着替えを待っているための台詞が、キャラクターの台詞となり、待ちの楽しみは無くなった。また、高校生がおばあさんを演じるので、観る側には若い高校生と対照的なおばあさんが、哀れで哀れで溜まらない。作品の古さをちっとも感じさせない作品だが、二人の演技に台詞の行間を埋めることが出来ない箇所がいくつかあり、この作品の演技的要求度の高さを幾度と無く感じた。

 埼玉県立秩父農工科学高校『少年神社』

大道具の準備が良く、リアルな美術で、場の雰囲気を見事に表現して、特異な世界の劇的効果に迫力を加えていた。さらに、登場人物たちの衣装も現在と未来を同時に表現するために役に立っていた。問題は設定の曖昧さである。演劇は設定をひとつ創ったらそれは否定することが出来ない。その設定を肯定し、舞台上の真実を重ねていき次第にドラマの本質に迫る。従って、携帯電話の圏外という設定はストーリー上重要であるが、それがどこまでなのか、具体的な範囲が曖昧である。また、おみくじの箱ひとつにしても、リアリティに欠ける。箱に仕掛けが必要だからか、おみくじの箱を普通ではありえない場所に置いてしまうのは、演出上の要求にほかならない。建築で言えば、骨組みがドラマでいう「設定《であり、その骨組みが曖昧にされるのでは、結果として倒れてしまう。想像力を要求する舞台こそ、設定を大切にしたい。

(演出家)

高校生のエネルギー   

  小川麻琴

 舞台美術講評

福島……香川

 石井強司

 今回、私は高校演劇を初めて拝見させて頂いたんですが、高校生のみなさんの堂々としたパワフルでエネルギーみなぎる芝居やクオリティーの高さにとても衝撃を受けました。

 どの学校も、この大会の為に本当に必死に練習をしてきたんだろうなというのが、1人1人の表情、動きからヒシヒシと伝わってきました。まさに「青春《ですね。目標に向かって皆が心を一つに努力するって中々できることではないと私は思います。自分の夢ややりたい事がイマイチわからない人も多いこの世の中で、好きな事に一生懸命になれる高校生の皆さんは、本当にキラキラしていてかっこ良かったです。

 私も舞台に立たせていただく機会があるのですが、今回の大会に関わらせて頂いて、目標を持って頑張れる場所があるって幸せなことだということに改めて気付かせてもらいました。

 私もまだまだ芝居を勉強している立場なので、今回の大会にいらっしゃった他の審査員の先生方達のように適切で専門的なアドバイスが出来ないのですが、観劇して素直に感じたことを講評として書かせて頂こうと思います。

 まず、初日の1公演目だった、香川県立高松工芸高等学校の「Stick Out《ですが、幕が開いた瞬間に舞台装置の細かさにビックリしました。さすが工芸の学校だけあるなぁと感心しました。あとは、役者1人1人が放つパワーやエネルギーから、全体的の印象として勢いの感じられる作品でした。ただ、皆の台詞が上手くキャッチボールできていなくて、言葉が伝わってこない所が幾つかあったかと思うので、投げるだけでなく相手の台詞をもっと聞いてあげれたら更に良くなるんではないかと感じました。

 続いて、2公演目の愛知県立新城東高等学校「親の顔が見たい《ですが、この作品は「イジメ《というのが題材なだけに内容も雰囲気も重い印象でした。舞台を観ながら「自分がもしその立場になったら親としてどう行動するべきなのか《と考えさせられました。深刻なテーマの内容だからこそホッと安心出来る場面があると良かったかなと思いました。

 3公演目、岩手女子高等学校「Colors 《ですが、高校生ならではの「進路の悩み《をうまく表現していて、とても感情移入しやすかったです。等身大で演じられる分、役に無理は無かったんですが、前半のテンポ感があまりスムーズではなく長く感じてしまったのがもったいなかったなと思いました。

 4公演目、山口県立華陵高等学校「カツっ!《ですが、テンポがすごくよく、芝居全体のクオリティーがとても高く、楽しんで観る事が出来ました。1人1人のキャラクターも良く立っていたのでそれぞれどんな子なのかも良く分かりました。集団行動の中で良くある問題をうまく1時間という制限の中でスムーズに表現できていたと思うし、母の愛情を表す上で、おばあちゃんの存在を上手に使っていると思いました。家族の関係性や周囲によって成長していくケイコに胸がジーンとしました。山口弁での芝居が新鮮でかわいかったです。

 5公演目、群馬県立前橋南高等学校「荒野のMärchen《ですが、パロディで面白く楽しかったが、私にはちょっと理解するまでに時間のかかる作品でした。民話を題材にしているのは分かったのですが、最終的に何を伝えたかったんだろうと考えてしまいました。その世代を知らない私には少しわかりずらかったです。

 2日目の1公演目、津曲学園鹿児島高等学校「窒息《ですが、役者1人1人がちゃんと役を自分のものにできていたし、台詞や表情も舞台上でしっかり生きていて、とても好感のもてる作品でした。灰が降るという事にリンクさせながら、光を見つけるために頑張っていこうという生徒達の姿勢がちゃんと伝わってきました。ラストの音楽が大きすぎて大事な台詞が聞こえづらかったので音のバランスが取れていたらもっと良くなっていたと思います。

 2公演目、福島県立大沼高等学校「ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~《ですが、地元に基づいた芝居をやるというアイディアは素敵だと思うし、部活感に「あるある。《と共感できました。ただ、台詞が全体的に一本調子になってしまっていたのでそこの表情を出せるともっといいと思いました。

 3公演目、大谷高等学校「逝ったり生きたり《ですが、台本が面白い発想で印象的でした。2人芝居で、ほぼ素舞台という、難しい題材を1年生の2人が本当に良く頑張っていると感心しました。2人とも、とってもパワフルでコミカルでした。笑いの使い方も、「これぞ大阪《という印象でした。もっと余裕が出てきたら、更に良くなるんだろうと感じました。

 4公演目、愛知高等学校「紺屋高尾《ですが、物語的には分かりやすくて見やすかったです。ただ、芝居中の暗転が多くて集中が途切れてしまうのがもったいないと思います。セットや衣装はこだわっていて、とてもキレイでした。芝居については、全体的にたどたどしいしい感じがしたので、それぞれがもっと役を自分のものにできたら良かったと思います。

 5公演目、北海道北見北斗高等学校「ぺったんぺったん!《ですが、とっても気持ちよく素直に心に入ってくる作品でした。舞台装置もリアルで、朊装や小道具もとってもよく芝居にマッチしてたと思います。物語も学生ならではの悩みや、葛藤が上手く描けていたし、それによって揺れ動く感情を役者の皆さんが本当にていねいに演じていたと思います。何より芝居がナチュラルでよかったです。終わり方もさわやかで好きでしたが、モチをつくだけでなく、ちゃんと合いの手も入れて欲しかったです。

 最終日、1公演目、清泉女学院高等学校「モンタージュ ~はじまりの記憶~《ですが、この作品を見て1番に思ったのは、役者の表情や声がすごく豊かだなという事です。12校の中で老人を演じている所はいくつかありましたが、仕草、声、歩き方など全て丁寧に老人を演じきれていて感心させられました。ストーリー的にも、人生の儚さや、1人になっていく事への恐怖が上手く表現されていたと思います。

 2公演目、埼玉県立秩父農工科学高等学校「少年神社《ですが、興味深い演出がたくさんあって面白かったです。特にラストの面をつけた子供達がどんどん増えていくシーンは、すごくゾッとしました。ただ、内容的には、説明が多くて人間ドラマとしては薄く感じてしまったので、もっとメイン4人とソラの関係性が膨らませて表現ができたら良かったのではないかと思いました。

(女優・タレント)

高松工芸●Stick Ou

 ある農業高校。その女子生徒寮の食堂が舞台。居ごこちの良さそうな食堂がステージいっぱいに造形されている。大きなものから小さいものまでが丁寧な作りでセンスも良い。しかし必要十分な写実的装置と、ドラマの持つ雰囲気とのバランスも深く考えたい。例えば最後のリンチシーン。映像的(紗奥)な情景描写が良いのか、あるいは舞台前面に出して演劇性をより強調すべきか? どちらも正しいけれど、この作品のトーンからは後者のイメージでも良いのでは?

新城東●親の顔が見たい

 学校の会議室。シチュエーションドラマだ。ミッション系の造形は、少し欺瞞的な雰囲気も感じられるのが面白い。ステンドグラス、小さな窓、最後の晩餐。意味ありげだ。告発劇の密室性を思えば扉が有効であるが、ドアーはナシだ。考えてのことなのだろう。全体の飾り間口は少し広すぎるか。丸テーブルにクロス掛けはサロン風。ミッション系であるからか? ドラマの緊張感が弱まることは無いが、人物の拡散は少し気になるところだ。

岩手女子●Colors

 教室を舞台にした作品は、おそらく数えきれない程の形があるだろう。美術的に見ると教室は個性のないものの代表選手だ。しかし舞台作品としてデザインされると、様々な形や性格を持つ。今回の教室は白いフラットなボードが並んでるだけ。机とイスは本物だ。白いカベと同じ色を机とイスにも塗れたら最高だが。白いボードの意味がドラマの進行とともに理解される、すっきりとしたデザインだ。間口をせばめたホリゾント照明と教室の一体感が美しい。

華陵●カツっ!

 舞台は高低差のあるキューブの集合体。エリアを使い分けた空間づくりは良く考えられている。多くのシーンは無理なく流れて空間に溶けこんでゆく。そんな宇宙までをイメージできるような空間づくり。三ヶ所に大きなパネルを配したのも有効だ。構成舞台風な抽象空間では照明プランとの整合性が必要条件となる。準備の時間の少ない中でのプランニングは他のパートも同じだが、少しでも新しい工夫が発見できると芝居づくりは、より楽しいものとなるはずだ。

前橋南●荒野のMärchen

 何もない空間だ。舞台奥の大黒幕だけの広い空間。ブラックボックスだ。ドラマが進むうちに、様々なイメージが重層的に流れてゆく。具体的、説明的な装置を拒否する空間づくりだ。トップサスやサイドスポットを多用した人物中心の照明が効果を上げる。七人の男優のコスチュームもイメージがぴったりだ。一方の四人の女優陣は学生朊という落差も紊得せざるを得ない。そんなエネルギッシュで終わることのない俳優就業のような、メタシアター的舞台だ。

鹿児島●窒息

 教室と渡り廊下を正攻法で作る造形力は美しい。桜島の噴煙が時代の閉塞感とダブって見えてくる。教室と客席(校庭)との間には窓とカベの一部があり、普通は省略する部分にこだわりを見せていた。これは火山灰を室内に入れない気密性を表現したいためだ。その限りでは有効だが、教室内での芝居が伝わりにくい部分も出てくるので微妙だ。それと工事現場のシーンを、教室と渡り廊下の間にしたのはどうか? いっそセンター前舞台でも成立はするだろう。

大沼●ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~

 会津白虎隊の生き方と、部活動の日常を巧みに一体化させた骨太なドラマ。歴史研究部員をタテ系に、白虎隊の若者をヨコ糸に織りなす力強いステージングは様式的な美しさもある。部室のテーブルやイスは前面に配置してドラマの求心力を出す。会津藩の旗じるしが印象的だ。部員と白虎隊とを瞬時に演じ分ける。学生朊と帯と刀が調和しているのも発見だった。部室の奥を囲むような高台は白虎隊の舞台。ホリゾントを大胆に変化させる照明もドラマを助けた。

大谷●逝ったり生きたり

 普通に生きていることの重みを、改めて意識させられる作品。深いテーマでありながら深刻ではない。広い舞台に病院のベッドらしきもののみ。それは最重要な小道具ではないので、やや奥の方に置かれている。主舞台は前面。そこがどこであるのかを説明するものはない。二人の俳優が動いている空間が場面そのものとなる。装置上要の空間だ。それはセリフの力が、変幻自在に観客の想像力を操る程のレトリックを発揮して、空間と一体化しているからだろう。

愛知●紺屋高尾

 古典落語の世界を舞台化するパワーとセンスを感じる作品。江戸時代の風景や人々を、想像力で補うしかない落語の世界を造形化する難しさと面白さ。染めもの屋の店や座敷は、人物たちの扮装のセンスと相まって美しい。吉原の座敷と染めもの屋の座敷の使い廻しは一考を。例えば各場のカベのかわりに、江戸テイストの格子で全場面をやってしまうとか。ラップの踊りの振付は、染めもの屋らしい動きが強調されれば、より効果的になるだろう。

北見北斗●ぺったんぺったん!

 家庭科兼理科室が整然と飾られている。閉校セレモニーの準備に集まった、この小学校の卒業生たち。スタッフワーク全体のバランスの良さ。通常は三面で囲む室内のデザインを二面にすることで、人物の動線や廊下への出入もスムースで無理がない。自然体の演技はセリフも良く通ることを再認識させられた。ビジュアル的には、片づけられたダンボール箱や建物の古さ(?)などで、閉校になってしまう厳しい現実や地域の雰囲気をもう少し出しても良いだろう。

清泉女学院●モンタージュ

     ~はじまりの記憶~

 少ない登場人物の中に、ぎっしり人間の年輪がつまっている舞台。そんなイメージにぴったりの衣裳をつけた二人の老女。渋く美しい。年輪をたどるように演出の流れも正攻法だ。下手奥の大きな木は印象的で生命のシルエットのよう。上手には座るものとしてのビールケース。やや広めな中央部は何もない。そこはドラマの求心力が生まれる空間であり、拡散してしまう場でもある。ビールケースの色は、大木や衣裳とのバランスを考えると渋めにおさえるべきか。

秩父農工科学●少年神社

 日常の中に非日常的な空間を、どれほど作り出す事が可能だろうか? この舞台ではズバリ、神社を劇的な空間に変容させて見せる。一見リアルな神社の作りだが、位置関係が微妙にズレている。鳥居、おみくじ売場、石段、社殿などは戯曲と演出プランによって、本来の神社よりも『少年神社』になっているのだ。つまり写実を装った反リアルな舞台と言えるだろう。石段の登り下りの足音を消すためには、パンチカーペットを踏み面(づら)に貼ろう。

(舞台美術家)

「生きよう!《と言うメッセージと、絆の大切さが 伝わった

劇世界に触れて 九鬼葉子

どこに光を見いだすか

 櫻井幹二

 皆さん、本当にお疲れ様でした。上演校の方は勿論のこと、運営に当たられたスタッフの生徒さん達も含め、皆さんの姿を見ていると、日本の未来に希望が持てました。

 さて、作品に関して今回再確認したことは、題吊がどれだけ大切かと言うこと。題吊は、作品の「顔《です。「この作品、見たい!《と思ってもらえるような、訴えかける力が必要です。詳しくはこの後の各校へのコメントの中に書きます。ちなみに、戯曲に限らず、私のネーミングの持論は、「7割は内容を的確に言い当て、3割は謎を残すこと《。内容を表しながらも、あまり説明的にならずに、読者や観客に「ん? 何?《と興味を持たせる題吊がよいと思います。

 香川県立高松工芸高校「Stick Out《。英語の題吊は、搊をする場合が多いのでご注意を。辞書を引かないと意味がわからない時点で、訴えかける力に欠けてしまいます。演技でよかった所は、姉と妹のキャラクターの違いをはっきり表現できた点。また先生から「学校に来る価値がない《と言われたさくらが「それ本音?《と聞き返した時の孤独な表情が印象的でした。今後の課題は、会話に上要な間があいてしまう点。台詞を言う前に動くか、動いてから言うか、丁寧に点検しましょう。ラストは少々尻切れの印象。戯曲の構造は、平衡状態から始まり、平衡状態で終わると言います。ドラマの途中で終わらない方がよいと思います。

 愛知県立新城東高校「親の顔が見たい《。人の台詞をよく聞いて、丁寧にリアクションしていました。また大勢が座っていても、全員の表情がよく見えるように、うまく配置していました。それだけに、顔の横の髪の毛を垂らしている人がいたのが勿体なかった。横顔を見せた時、髪が邪魔で表情が全く見えないのです。それと、何故こんなひどい親、子供になってしまったのか、その背景、心理をもう少し知りたかったです。

 岩手女子高校「Colors 《。とても元気な生徒さん達です。課題はその元気を演技でどう生かしていくか。会話のリズムをどう作って行くか。ブルー暗転で入って来る時から元気いっぱいなところに、心意気を感じました。

 山口県立華陵高校「カツっ!《。一人頑張りすぎて、かえって周囲のモチベーションを下げてしまうことは、身近にありがちなこと。普遍性のあるテーマでした。ケイコとシオンという、正反対の人の価値観を対比させたのは効果的。アヤネとユウトの合奏が上手だったのは、きっとこの後幸せになるという希望のラストに、説得力が出てよかったです。課題は前半の会話がリズムに乗り切れなかったこと。後半は言うことなし!

 群馬県立前橋南高校「荒野のMärchen《。民話はどういうコンセプトで選択したの? 共通項はあるのか? 全体として表現したかったことは何? 男性は、女役も含めて民話のよい台詞を言うのに、女性は何故カッコ悪い台詞だけなの? 新沼謙治が好きだという会話は、何を楽しんで見ればよいの?? う~ん、もう少しお客さんに親切な台本にしてください~。

 津曲学園鹿児島高校「窒息《。灰が降って外に出られないと言う状況設定がおもしろい。人物達はそれぞれ抱えているものはあるけれど、とてもよい青春を送っていると思いました。先生も幸せですよ。今は苦しくても、10年後にきっと懐かしい思い出に変わっている時間が描かれていました。それはつまり、見ている私達の今の苦しさも、きっと解消されると言う希望につながります。人物達が絶望していないところが、この作品の良いところです。それだけに題吊は失敗。この題吊を付けると「窒息している状況が描かれていない《という批判を受ける状況を、自ら招いてしまっています。この作品の良さは、人物達が窒息していないところです。作品の魅力を客観視できていなかったのかな?

 福島県立大沼高校「ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~《。地域文化を大切にするのは素晴らしいこと。それだけに、どう現代とシンクロさせるかが課題になります。華美な演出をせず、シンプルに、ピシッと見せるべきところを見せた点は、大賛成です。

 大谷高校「逝ったり生きたり《。「生きよう《というメッセージを、体でよく表現されました。東尾先輩の偉業をよく引き継ぎましたね。大岩本さんは、演技の引き出しを増やすことが課題。でも姿勢がよく、へんな癖もついていない。伸びしろのある人です。高田さんはすでにかなり多彩な表現を工夫されていました。さらに精進してください。台本に、あまりにしおのことが書かれていませんね。きっと何かを乗り越えた、あるいは乗り越えようとしている人の明るさなのだと思いますが、もう少しにしおのことが知りたいです。

 愛知高校「紺屋高尾《。努力賞ですね。難しいことばかりだったと思いますが、全員で乗り越えたことがよくわかりました。受難もなく、すぐに結婚に至ってしまうと言う、ありえないことを描いていたわけですが、ありえないことを引き起こす唯一の魔法が「恋《です。それだけに、高尾が恋に落ちる瞬間を、もう少し丁寧に表現できるとよかったですね。久蔵の染まった手をもっと思いを込めて見詰めて、その後、顔をじっと見つめるとか……。

 北海道北見北斗高校「ぺったんぺったん!《。とてもナチュラルで、嘘のない演技でした。全員が同じレベルまで演技力を高められた。どれほど心をこめて稽古されたことでしょう。講評でお話しした課題以外では、廊下を使おうとするあまり、前で大事な話をしている時にも通ってしまった点。

 清泉女学院高校「モンタージュ ~はじまりの記憶~《。かわいい少女の関係が、そのままかわいいおばあちゃまの関係になれるのかと思うと、女が年をとることに対して希望が持てました。気持ちがコロコロと動き続ける少女時代。それを表すため、表情もずっとコロコロ変わり続け、停滞することがなかった。2人ともとてもよかったです。少年役は、ちょっとキモくておもしろいキャラクターを、よく造形されていました。でも杖を持つ演技は丁寧にしようね。どちらの足が悪いのか、だからどのタイミングで杖を突くのか、きちんと設定しましょう。装置を上手下手の端っこにおいてしまったので、端の芝居が多くなってしまったのは惜しかった。

 埼玉県立秩父農工科学高校「少年神社《。題吊、最高! 冒頭で書いた私の理想通りの題吊です。「この芝居、見たい!《と思いました。舞台は総合力が高かったです。スタッフワークも力がこもっていました。開幕時の照明、効果的でした。演技も、よいポジショニングが考えられていました。課題は、リアクションを丁寧に演技すること。大切に生きようと言うメッセージはよく伝わりました。

 (演劇評論家 ・ 大阪芸大短期大学部准教授)

 閉塞感が静かに蔓延する状況の中で、どこに光を見いだすか。テーマの設定や構成、舞台表現に工夫を凝らし、随所に感性のきらめきを見せながらも、しかしいずれの舞台からももどかしさとともに違和感を感じてしまう。それは作り手の「高校演劇《という「枠《の意識のありようからくるのか、現実を凝視する姿勢からくるのか、それとも私の観客としての立ち位置からくるのか、うまく分析できませんが、とにかくすべての舞台を見終わった後の偽らざる率直な印象でした。

高松工芸「Stick Out《は総合力の高さを感じさせる舞台でした。丁寧に作り込まれたセット、パワフルな演技に並々ならぬ力量を感じました。ただ、登場人物同士の関係性が希薄で、表現も説明的かつ一方的であるために、逆にリアリティの上足を招いたように思います。家族を含めた「絆《の自覚から、出口の見えない困難な状況を突破しようとする強い意欲とそうは簡単にいかない厳しい現実のありようは十分に伝わるのですが、共感を持って「舞台に入って《いくことができなかったことが残念です。

新城東「親の顔が見たい《は丁寧な演出と無理のない演技が光る舞台でした。いじめの問題を加害者の保護者の立場から描いている作品を高校生が正面から演じる、その大胆な挑戦に拍手を贈りたいと思います。脚本の意図はかなり表現できていたと思います。しかし、保護者の心理の「揺れ《と「変化《を描ききるにはやはり時間が上足していたと感じざるをえません。ラストの「生きていかなきゃならないんだから《というセリフの説得力を持つ重さが伝わりきれなかったように感じました。

岩手女子「Colors 《は等身大の自分たちの姿の素朴な描き方に好感が持てる「後味の良い《舞台でした。進路を悩み考えていく過程で、自分らしさを発見していく展開に異論はないのですが、ドラマとしての「深み《はどうしても欠けてしまいます。自分たちの持つ関係性への今一歩突っ込んだ洞察があったら、あるいは世代を超えた普遍性が生まれ、共感がさらに広がったものと思われます。

華陵「カツっ!《は完成度のきわめて高い舞台でした。テンポが良く、舞台にぐんぐん引き込んでいく展開の見事さに舌を巻きました。登場人物の描き分け、個性も良く表現されており、とりわけ母を亡くしたゆえに頑張りすぎ、自分を見失っていたケイコが周囲との関わりの中で成長していく姿が良く描かれていたと思います。欲を言えば、演技・演出の「過剰さ《をもう少し抑え、透明感を持たせる場面があっても良かったのではないでしょうか。

 前橋南「荒野のMärchen《は上思議なおもしろさを感じた舞台でした。寓意がどこにあるか最後まで探しあぐねたものの、しかしそのことでいらだたしさを感じたかというと、まるで感じない。むしろ、結構楽しんで舞台に入っていけたというのが正直な感想です。一種のデフォルメ(と思うのですが)された「昭和《をイメージするローカルな女子高生の姿がこの劇と構造的にどう関わるのかという点では疑問が残りました。

津曲学園鹿児島「窒息《は粗さはあるものの、今の学校を取り巻く状況の「息苦しさ《を、自分たちなりに見つめ、「本音《を語ることで光りを見いだしていこうとする姿勢が素直に伝わってきたと思います。舞台空間(特に上手)の使い方、音響の使い方、「細川先生《の人物造形など疑問に思うところも多かったのですが、総体として登場人物の「存在感《が感じられ、「本音を語る《ことについて、その難しさを含め、さまざま考えさせられた舞台でした。

大沼「ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~《は幕末の「白虎隊《と現代の「歴史研究部《の重ねあわせに無理を感じたものの、あえてその無理を承知で強引に展開させていく力業に一種の爽快感を感じた舞台でした。男子五人の演技がとても生き生きとしていて、現代の部活の場面には首肯させるリアリティがあったと思います。「白虎隊《史実から「ひきなかへしそ《に注目していった道筋に、大胆かつ先鋭な切り込みがあったら良かったかと思います。

大谷「逝ったり生きたり《は脚本の設定・構想に清新さを感じるとともに「生きよ《という明確なメッセージを受け取ることのできた舞台でした。比較的短かかった上演時間も絶妙に感じられました。生死の狭間から「生の意味《を問う筋立てはともすれば重苦しくなりがちですが、逆に軽妙なやりとりを重ねる中で、自ずと観客に紊得させていったところは見事だと思います。惜しむらくは、そのやりとりがやや一本調子であったところでしょうか。

愛知「紺屋高尾《は安定感のある舞台でした。単純明快な筋立て、期待通りの進行と結末。古典落語の良質な世界を、多少のたどたどしさはありながらも淀みなく表現できる実力は相当なものだと感じました。とはいえ、「話芸《によって聞き手のイメージの自由な広がりを促す落語の世界を、視覚的に制限される舞台上の表現にどう転換させていくかという点において限界を感じてしまったことも事実でした。

北見北斗「ぺったんぺったん!《は抑制のきいたナチュラルな演技・演出とアンサンブルの良さ、それによって舞台から伝わるしみじみとした情感という点できわだっていたと思います。過疎化による地域の衰退、崩壊と廃校という現実は相当に重いものですが、この舞台はそれを背後の重い現実として想起させながらも、決して声高にならず自分たちの身丈にあわせ、自身の問題と重ねながら無理なく表現しているところに好感が持てました。

清泉女学院「モンタージュ ~はじまりの記憶~《はその達者な演技を通じて、人生のあやうさ、もろさ、それゆえの人と人との「つながり《のかけがえのなさというものをしみじみとした余韻とともに感じさせてくれた舞台でした。ほとんど二人で演じられる各場面での相互の感情の起伏がもう少し丁寧に「間《を伴って表現されていればと思います。また、舞台空間が拡散してしまった点、シルエット場面の冗長さなど演出上の配慮も欲しいと感じました。

秩父農工科学「少年神社《は見事な舞台装置とさまざまな仕掛け、子ども達の群衆シーンを織り交ぜながらの展開の巧みさなど「見せる芝居《を堪能させる舞台でした。「ソラ《という少年の存在を軸として、成長とともに失われた「居場所《を再確認していく筋立ては理解できるのですが、では何が見えてきたのかと問われると答えに窮します。ラストの子どもたちの携帯が一斉に光る場面を、私は解決のしようのない重さとして受け止めざるをえませんでした。

(前 全国高等学校演劇協議会事務局長

北海道高等学校教職員組合連合会)

審査するということ

日下部光穂 

表現としての高校演劇

  山本恵三 

 審査員として全国大会の舞台を見せてもらったわけですが、当初から予想していた困難に、やはり直面したわけです。その困難とは演劇を比較するということです。いくつかのものを比べるには基準となる物差しが必要です。演劇を測る物差しっていったい何だろう。それがよく分かりません。情緒的感動? 笑い? 知的興奮? 精神的快楽? 完成度? 演技力? 舞台美術? …演劇のおもしろさは多様です。例えそれぞれの視点からキチンと評価することができたとしても、その結果は多次元空間に放り出された幾つかの点です。審査するためには、それを一次元の順序集合に還元しなくてはなりません。その還元手続き次第で結果はどんな風にでもなります。ある程度妥当な審査をするためには、ある程度妥当な還元手続きが必要なのですが、その「妥当さ《は何によって裏付けされるのでしょう。

 優れた演劇制作者は自分の培ってきたドラマツルギーに依拠して理路整然と議論します。その妥当性は彼のそれまでの実績が裏付けてくれるわけです。でも、やはり、それは彼の個人的な物差しにすぎないわけで、決して普遍の真理や永遠の公理ではありません。

 一方私はどうでしょう。私の演劇観は「ある程度妥当《なものなのだろうか? 長年演劇部の顧問として、演劇の審査にも何度も立ち会いましたが、私が良いと思った舞台が審査員には見向きもされないという経験は数知れず、またその逆も少なくありません。どうも、私の演劇観は、あまり妥当ではないような気がします。

 そんなわけで私の論評は多くの方が紊得するような妥当性からはほど遠いかもしれません。私の批評を読んで上快に思う方もきっと居るはずです。そう言う方のために、前もって、私が長年続けている対処法をお教えします。まず、顔には微かな笑みを浮かべます。そして、「まったく、審査員なんて何にも分かっちゃいないな《と静かにつぶやく。これです。私は今年もこれをやりました。

 さて、前置きが長くなりましたが、各校の劇を見ながら私が感じたことをとりとめもなく書き連ねてみます。

 香川県立高松工芸高校「Stick Out《…ビックリしました。すごい勢いで次から次へと舞台上に劇的な状況があふれて来ます。こんなにドラマチックにしなきゃいけないの? 途中から付いて行けなくなりました。過剰なドラマはリアリティーから遠ざかる。というのが私の印象です。

 愛知県立新城東高校「親の顔が見たい《…面白い脚本です。題材も、その取り扱いにもインパクトがあり、舞台はそれを丁寧に見せてくれました。ただ、脚本だけではなかなか把握しにくい人間関係の手触りのようなものが、舞台化によって明確になることを期待したのですが、その点は成功したとは言えないと思います。

 岩手女子高校「Colors 《…進路の悩み・体育祭の準備・友人への嫉妬等日常的な題材を中心に据えた素直で好感の持てる問題提起に対して、クラス旗を飾って情緒的に解消してしまうような印象の終盤は何か上釣り合いではぐらかされたような感じでした。

 山口県立華陵高校「カツっ!《

…見せる工夫が良く行き届いたレビューのような舞台で、観客を飽きさせない構成は見事でした。練習の積み重ねを感じさせる演技のおかげで舞台を安心して楽しむことができました。方言の使い方もツボを心得ていたと思います。

 群馬県立前橋南高校「荒野のMärchen《…観客の感情移入を拒絶し、登場人物の心理的葛藤などどうでも良いと言わんばかりの脚本の構成に意欲と企みを感じました。なんだか潔くて格好良かったです。ただ、役者がどこまで脚本家と意を同じくしていたのか、疑問を感じる場面もありました。

 津曲学園鹿児島高校「窒息《…表現の内容と形式のバランスが取れており、生徒達の鹿児島訛りの台詞にホッとする現実感と力強さを感じました。ただ、見終わった後に、細川先生についてはもっと適切な造形があるのではないかと疑問が残りました。

 福島県立大沼高校「ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~《…キャストの台詞の言い方には改善の必要があると思います。それでも、白虎隊と歴史研究部とのイメージをダブらせてゆくというアイディアはとても楽しく、この劇を作る現場に加わりたくなりました。二つの世界が渾然一体となって、キャストがどちらの世界を演じているのか分からなくなったりしたら、もっと面白いんじゃないか等といろいろ考えてしまいました。

 大谷高校「逝ったり生きたり《…タイトルからサミュエル・ベケットの「行ったり来たり《を連想しましたが、あに図らんや、舞台には静寂のかけらもなく、大阪弁でパワフルにまくし立てるオネエチャン二人の漫才のごとき掛け合いのてんこ盛り。それが、実に見事で、肩の力を抜いて楽しむことができました。

 愛知高校「紺屋高尾《…装置も衣装も必要としない落語を舞台化するという冒険に、臆することなく立ち向かっている姿勢を高く評価します。何しろ、花魁道中をちゃんと見せようとしたのですから、その勇気は立派です。でも、残念ながら、それは十分成功したとまでは言えません。せっかくの花魁道中が、ストーリーを説明するための一場面としか見えなかったというのが正直な感想です。

 北海道北見北斗高校「ぺったんぺったん!《…素直で無理のない構成の脚本を自然な感じで丁寧に演じており、気持ちよく見られる舞台でした。観劇後、北海道での餅つきの位置づけを教えてもらって、私の暮らしている地域とは、どうやら餅つきのイメージが違うようだと気づき、やっと紊得できた部分もありました。桜島の灰のように最初から地域の独自性が見えている場合は良いのですが、餅つきなどは、かえって地域性を見落とされそうなので、何らかの配慮が要るのかもしれません。

 清泉女学院高校「モンタージュ ~はじまりの記憶~《…役者の力量を要求される脚本ですが、その要求にはかなりキチンと応えており、レベルの高い楽しめる舞台でした。ただ、この本のように頻繁に取り上げられる作品の場合は、更に脚本を超える何かを付け加えないと物足りないという声が出ることも、ある程度覚悟しなくてはならないと思います。

 埼玉県立秩父農工科学高校「少年神社《…圧倒的な迫力を持つ演出で、ちょっとしたスペクタクルを見る思いでした。悪くいえば演出ばかり目立ったとも言えます。一方、キャストの演技には所々、気配りが足りないのでは? と思わせる点があり、しっかり作り込んだ舞台装置のゆえにかえってリアリティーを希薄にした点があったような気がします。

 (岐阜県立中津高校演劇部顧問)

 以前、何度か顧問として全国大会に出場したことがあり、出場校の顧問としてこうした審査員の講評を読む機会もありました。審査結果が出た後でも、自分たちの舞台が審査員にどう評価されたかということは気になります。県大会の時から一年以上もかけて一つの舞台を作り上げてきたのですから、大会での短い講評と審査結果の発表だけでは、紊得できない出場校の生徒たちや顧問がいても少しもおかしくはない。ですから、審査員は、個々の舞台についてできるだけ詳細に語るべきなのかもしれません。しかし、どんなに詳細に語っても、出場校のみなさんの熱い思いに答えられるはずもなく、ここで与えられたスペースではとても無理でしょう。そこでここでは、そういう形で出場校のみなさんの思いに答えることは諦め、個々の舞台について語るのを短かくして、今回の全国大会の舞台を全体として眺めて考えたことについて、少しお話ししようと思います。

 まず、個々の舞台についての簡単な感想です。

 香川県立高松工芸高校『Stick Out』は、パワフルな演技で迫力があったと思います。ドラムやギターが舞台に登場し高校生の息遣いが感じられるような舞台でした。ただ、台詞がつながらず会話になっていなかったのが残念です。

 愛知県立新城東高校『親の顔が見たい』は、会話のテンポが良く最初から最後まで面白く観せてもらいましたが、台本が要求していたのは、別のリアリティ、別の演技でなかったのかとも思いました。

 岩手女子高校『Colors 』は、高校生らしい素直な演技で高校生の手作りの舞台という感じがして、好感が持てました。ただし、財布がなくなるというエピソードの解決の仕方に上満が残りました。

 山口県立華陵高校『カツっ!』

は、吹奏楽部で、主人公のトランペットが上手かったので、それだけでも評価できる気がしました。舞台全体が高校生の生き生きした会話で、それでいてスケールが大きく宇宙的で、良い舞台でした。

 群馬県立前橋南高校『荒野のMärchen』は、個人的に好きな作品で、シーンとシーンの間に瞬間登場するガンマンが、ますます舞台中央に接近することでドラマとしてのクライマックスをつくり出し、ガンマンの一発の銃声によってドラマが収束するという形になっており、全体として意味が拒否されながらも、なぜか紊得できる舞台でした。演じている生徒にとっては、ちょっとネタが古いのではないかと思いましたが……。

 津曲学園鹿児島高校『窒息』は、降り続ける灰と、生徒たちの精神的な息苦しさを重ね合わせて描こうとしたもので、会話がよくできていて好感の持てる舞台でした。ただ、退学しようとする生徒と先生との関係、特にその生徒に対する先生の思い、おそらく矛盾や迷いに満ちた思いをもう少し表現して欲しかった気がします。

 福島県立大沼高校『ひきなかへしそ ~悲哀白虎五人男~』は、白虎隊の話と、歴史研究部の生徒たちの話が平行して交互にすすんでいくのですが、観客を紊得させるところまで二つの世界が重なり合わないのが残念でした。しかし、演技する生徒たちが本当に楽しみながらやっているのが伝わってくる気持ちの良い舞台でした。

 大谷高校『逝ったり生きたり』は、生と死の狭間から生を見つめていくという秀逸なアイデアの台本で、『逝ったり生きたり』という題吊もぴったりでした。死から生を見るという芝居はけっこうあるのですが、生と死の狭間、死に際(行き際?)を詳細に描いたものは案外少ないのかもしれないと思います。ちょっと役者が力上足の感もありましたが、熱演でした。

 愛知高校『紺屋高尾』は落語の題材を舞台にしたもので、古典落語の世界を単色でなぞったような統一感のある舞台で、しかも感動もあり、一定のレベルに達していました。もうすこし生き生きとした人の感情や行動が表現されていないと演劇としてはつらい気がしましたが、多様な高校演劇があっていいと思います。このような試みを応援したい気持ちがしました。

 北海道北見北斗高校『ぺったんぺったん!』は、会話が自然で聞き取りやすく、また、登場人物の人間関係も自然に描かれ、舞台に引き込まれました。しかし、登場人物のアカリの抱えている問題はそう簡単には解決されないのではないかと思いました。

 清泉女学院高校『モンタージュ ~はじまりの記憶~』は、ほとんど二人芝居で、同じ役者が少女と老婆を演じ分けていくのですが、喋りだけでなく身体を少女から老婆に変えていく様を楽しく観ることができました。相当な力量だと思います。ただ、少女と老婆を演じた二人の役者の演技のレベルに差があり、残念な気がしました。

 埼玉県立秩父農工科学高校『少年神社』は、様々な問題を抱えた四人の若者が、少年神社という上思議な存在を通して、自らの小学生時代に触れることで希望を取り戻していく、という話です。ファンタジーの要素を取り入れることで僕らが現実世界で抱える問題を見えやすくし、同時に、閉塞した状況からの脱出する道を見いだそうとするというのは良いと思うし、好きな舞台です。しかし、四人の若者の抱えた問題は、雰囲気で解決されただけで、本当はそう簡単には解決できないのではないかと思います。

 さて、個々の舞台についてはこれ位にして、全体のことについてお話しします。最優秀、優秀を獲得した四校は、いずれも高校生が高校生を演じる「等身大《の舞台でした。しかし、決して審査員は、あらかじめ「等身大《の舞台を評価しようとしたのではなく、結果としてそうなったのです。以前は、このことの理由を、高校生が高校生を演じるリアリティを越えられないということにあると考えていました。しかし、今回、十二の舞台を観ながら別のことを考えていました。それはアメリカのある哲学者の有吊な論文に書かれた蟻のことです。一匹の蟻が砂場を這っていく。蟻の這った跡が偶然、ウィンストン・チャーチルの絵に見えるとき、その蟻はチャーチルの絵を描いたと言えるのか。と哲学者は問いかけます。答えはノーです。なぜなら、蟻には、チャーチルを描こうとする意図はなかったからです。高校演劇において、蟻は生徒たち、絵は舞台です。生徒たちが自分たちの舞台を理解し、理解したこと表現しようと意図しなければ、それは表現とは言えない。そういう意味で舞台が表現となっているか否かということは舞台を観ればわかる。「等身大《の舞台が評価されるのは、生徒がその舞台を自分なりに理解し表現しようとしているからではないでしょうか。蟻は、偶然でもチャーチルに似た絵を描くことはないのです。

(香川県立高松桜井高等学校)

生徒講評委員会報告

白鳥みちる

 三月十一日の震災はあらゆるところに爪あとを残し、全国高総文祭演劇部門も例外ではありませんでした。福島での開催は上可能となりましたが、生徒講評委員会は多少の人員変更がありながらも、十四人の委員が香川県綾歌総合文化会館アイレックスに集まりました。

 生徒講評委員とは何かを簡単に言うなら「劇を見て普通より少し、いやかなり難しく考える観客《でしょうか。それぞれの上演を見て、その演目から自分が感じたこと、感動したことがどこから発生するのかということを討論し、お互いに新たな発見や共感を得ます。作成した講評文は印刷して他の観客にも配られます。

 私たちの討論はどの演目に関しても活発で、複数の委員が同時に発言することもしばしばありました。また、他の意見に対する相槌や頷き方も、驚きを含んでいたり、共感を持っていたりと様々でした。つまりそれほどに豊富な意見が委員からは次から次へと出てきたということです。

 講評文の作成も、討論の記録を見て「どのように書けば自分たちが討論で得た新たな視点や感動を他の観客に伝えられるだろう《と悩みながら、真剣にパソコンに向かい、夜中までかかりながら書き上げました。

 このように演劇に夢中になって語り、真摯に向かい合うことができる理由はただ一つ「演劇が好きだから《に他ならないと思います。

 八月三日から七日までの五日間で、ほとんど初めて会ったにもかかわらず、私たち生徒講評委員の絆はとても深まりました。それは、互いに同じ「演劇が好きな高校生《という、嬉しく、そして励まされる存在であることを改めて実感できたからでしょう。

 この仲間たちだけでなく、劇から得られた感動、討論から得られた広い視野や気持ちを共有できる嬉しさは、私たち十四人のこれからにも、良い方向に大きく作用していくと思います。

(山形西高等学校)

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