分 科 会
第一分科会
 

伝えたいことは伝わらない

 講師 平田オリザ

第二分科会
  

感情移入を考える

 講師 篠ア 光正

 第一分科会は、前半が長崎県内の演劇部員十八名が参加したワークショップ(他の約二百名の参加者は客席で見学)。後半が主に劇作についての講義という形で行われた。
ワークショップ(1)出された質問に対し同じ答の人を見つけ集まるという小学生用のワークショップ。クラス開きのHRなどで使われている。

ワークショップ(2)自分と近い趣味の人を見つけ三分以内にペアを作るという役者向けのワークショップ。数字の書かれたカードを用いて行われた。ルールは、「カードの番号の多い人は活発な趣味を持ち、少ない人はおとなしい趣味を持つ」「全員初対面、番号以外は何を話しても良い」「五人以上で集まらない」「一度ペアができたら変更できない」等である。
 このワークショップに於いては「趣味は何ですか?」といった表面的な情報の収集だけでは十分ではなく、どんなつもりでその言葉(この場合は趣味)が使われているかまで理解し合う必要があった。
 演劇とは、このように言葉に対して様々なイメージを持つ人たちが集まって創るものであり、これが演劇の面白さであると共に難しさでもある。

ワークショップ(3)二人でキャッチボールをし、本物のボールを使った場合と、使わない場合の違いを発表し合う。客席からも指摘させる。
 一般にボール無しの場合、上半身だけの大げさな動きになる。演技者はまず身体の動きに意識的になることが求められ、自分や他人をよく観察することが大切だ。
 また、感想の中で多く出た「思ったより・・云々」と言う言葉は、お互いがイメージを共有していなかったことを表している。舞台上で演技者がきちんとイメージを共有できていれば、それは客席に伝わる。

ワークショップ(4)
 長縄(縄はない)跳び。回っている縄に順に入り、全員が入ったら順に出て行く。
 ワークショップ(3)と比べ、イメージを共有しやすい例として行われた。客席にも無いはずの縄が見えている。「無いものが見える」というのは演劇を支えている原理だ。
 こうした表現が可能になるには、「物理的要件」と「精神的要件」の両方が必要である。長縄跳びは縄の動きも大きく、リズムがある。また「当たると痛い」「失敗すると恥ずかしい」といった緊
張感が演じる者にもあり、「物理的」「精神的」要件が揃った例である。
 しかし一方で「イメージを共有しやすいもの」とは、単調で退屈なものでもある。客はイメージの共有がしにくいものを見たいのであり、一番共有しにくいのは「人の心の中」である。また、芸術の世界で「中身がある」とは「オリジナリティがある」と言うことで、「中身のあるもの」は「伝わりにくい(共有しにくい)もの」であるとも言える。
 しかしながら舞台と客席でイメージの共有ができない状態で、いきなり強い主張がされる場合、大概の客は引いてしまう。劇作の場に於いても伝えたいことを先に書きがちだが、共有できるまで我慢することが大事であり、演出も、まず共有し易いものから入って、しにくいものにたどり着くようにすべきである。「伝えたいことは伝わりにくい」事を知って、ではどうすれば伝わるかを考えていくことが大切だ。

ワークショップ(5)
 どうすればイメージが伝わるかを考えてバレーボールを投げ合う。
 役者は(3)で学んだように自分の身体を観察し鍛えて、思うような表現ができるようになることが大切だが、それだけでは足りない。他者とアイデアを出し合い、トライ&エラーを繰り返す中で互いにイメージを共有していくことが必要となる。

講義「劇の創り方」
 映画や漫画のようなプロットを細分化するやり方ではうまい芝居にならない。見せたいプロットを絞り、その間は客に想像させる。そして、1/3か1/4までに、ここがどこか、誰がどんな運命を抱えているか分かるようにする。
 結末をどうするかに悩む人が多いが、良い芝居とは結末を知っていても見に来させるものだ。芝居とは、結末に向けて右往左往する人間の様を見せるものである。
 「場所の設定」に関しては、プライベートな場所は向かない。例えば家の中では、父親の仕事を全員が知っており、話題になりにくく、客にとって重要な情報が出にくい。パブリックな場も、他人通しの集まりの中では会話をしないので適さない。有効な場は「セミ・パブリックな空間」で、中に中心になる集団がいて、出入りが自由な場所である。
 次に「背景(抱えている事情)」を伝える際は、なるべく当人には語らせない。外部者を登場させることで事情を伝える。
 「運命」の設定については、「集団が」運命を抱えるようにする。その際意見が分かれるような程度の運命にする。(圧倒的な運命の中では意見が分かれにくい)
 「登場人物」についてはキャラクターだけでなく、その人物の「ファンクション(機能・役割)」をきちんと考える。そのためにも人物を「内部」「(中間部)」「外部」に分けて設定し、それぞれが持っている情報に差を付けると良い。なぜなら人間はお互いが知っていることは喋らないし、お互いが知らないことは話題とならないからだ。外部の人の役割として考えるのは「問題をもたらす人」「問題を膨らます人」「問題を解決する人」の三点である。
 ここまでが劇作りの下準備である。次にプロットをどう作るかだが、まず客にどんな情報を伝えるかを考え、人の出入りを決めていく。情報を伝える際は情報から遠いエピソードで伝えると良い。(例えば「静かだね」「ゴッホって水虫だったらしいよ」といったエピソードでここが美術館であることを伝える。)
 「笑い」とは「社会的なもの」に「人間的なもの(その人にとって大切なもの)」が突入する時、真面目な関係の中に人間的なものが入って足下をすくわれる時に起こる。故に構造をきちんと作ることが大切となる。
 演じる者、演出する者、創作劇に挑む者、それぞれに対して、大変わかりやすく、具体的で適切なアドバイスを頂くことができた。時間切れで、質疑応答がカットとなったが、詳しくは先生の「演劇入門」を是非読んで頂きたい。

(文責 長崎商業高等学校 川端光代)

 演出で大切なこと
 芝居を演出する上で、一番重要なことは、見ている人が演じている人に感情を入れていく「感情移入」です。演出をする作業は、演技者が感情を外に出す自己解放、つまり心の感情開放の反対です。自分の心を外に出すのではなく、見ている人の心を自分の心に入れる、これが演劇の中で一番重要になります。そしてその作業をしっかりと見つめて作っていくのが演出家になります。高校演劇では、表現方法ばかり考えることが多いが、実際に心の中で本当に喜びを作らない限りは、全部が嘘になっていきます。嘘の表現をしても、観客は感情移入せず、逆に引いて観てしまいます。心の中に観客を入れていく感情移入が一番重要で、演出を担当する人はこのことを念頭に置き、芝居を創っていくことです。

ワーク@:自分の知らない人と二人一組を作る。じゃんけんをし、勝った人は負けた人に対して三分間で今までで悲しかったことを説明する。
 相手の話を聞いただけで、あれこれ悩む。これも実は感情移入が起きている状態です。感情移入をすると同時に、そこで感情を同化される、つまり気持ちが同じになってただ観ているだけで涙したりという状況になったりします。演劇ではこの状況をどう作っていくか、演技者・演出家・スタッフ全てが考えます。
 また、感情移入には立ち位置も大切です。横位置芝居では観客はどちらに感情移入してよいか分からず、どちらにも感情移入しないため、観客は引いて観てしまいます。
 常に観客が何も考えなくても感情移入する人物が分かるようにすることが演出的には重要なことの一つです。
本音を隠す
 芝居の台本というのは常に本音が書かれていません。演技者は心の中の本音を隠しながら芝居をしていきます。

ワークA:二人一組になり、Aが両手を広げBの差し出す手を叩こうとする。空振りしたら役割を交代する。
 Aが叩かれ続けたら、だんだんAに感情移入がなされる。必ず〜された人物の方に人間の心は動き始めます。ですから演劇を作るときにはこの事が大切で、〜されることが大勢の人の心をつかむことになります。本音を隠す構造を作り、その中で感情移入を起こしていく、それが演劇的行為となります。「本音を隠す」ことは、演劇の最も魅力的な部分です。演劇は大勢の人たちがいろんな形でそこに存在する。そのため本音をそこに出せない構造が生まれる。
〜される側が演技を創る
 相手が見ていなければ本音を出しても構わないが、相手が見ているときに、本音を出してしまうと、説明演技になります。感情移入は起きず客席は突き放した笑いになる。一方、動きの表現になると、心を隠すと逆転をします。例えば、一人が嫌がるもう一人の腕を引っ張り引きずっていくケンカのシーンがあったとします。本当に引っ張れば、痛いし衣装が破けることもある。よって演技では常に「〜される人」が表現します。〜される側がリードを取るとイメージはいくらでも膨らませられます。〜される側がイメージを膨らませていけば、無限の演技が可能です。
 例えば別れのシーンで、同じ場所でずっとさよならを言っていても感情は動かないのだが、元気でね〜!と下がってくると心が動いてくる。これを「非日常のリアリティ」と言います。舞台の表現は「日常のリアリティ」ではなく「非日常にあらずのリアリティ」を創り出し、そこにドラマを作るのです。
 感情移入をしていくことと同時に非日常のリアリティを作り出すという二つの考え方を持つと感情移入の表現の場が、〜される側に注目を引きつけていきます。

ワークB:二人組を作り、じゃんけんをして勝った方が新聞の棒でたたき、負けた人が新聞の棒で防ぐ。
 芝居では、心=台詞ではありません。本音を隠して、本音をやり取りする。役者はこういうボールが来たんだからこうだとしっかり受け止めなくてはならないのです。心を受ける側が芝居を中心に引っ張っていくのです。どういうストーリーであれ、心を受ける側が引っ張る演出をしていくとドラマが成立する。すると観客が感情移入し、今度は観客の方で大きなドラマが動き出していくのです。演劇を創るという行為は、観客の心の中にイメージを作り出すことなのです。
 篠ア先生はこのワークショップを通して、分かりやすく芝居作りのこつを示して下さり、参加した演劇部員や顧問にとって大変充実した意義ある90分となりました。


(文責 長崎総合科学大学附属高等学校
野口千香)

第三分科会

舞台美術について

講師 松井 るみ

第四分科会

演劇記者って何?

講師 今村  修

 長崎市民会館文化ホールの舞台ステージで松井るみ先生をお迎えしての講演会が行われました。大学の学生に講義される時のように、パワーポイントを使用して、先生が自ら作られたミュージカル・ストレートプレイ・オペラそしてコンサート等で設置された数々の舞台美術が映像によって紹介されました。このような舞台美術がどのような仕掛けになっているのか、どのような材料で、どのようにして作られるのかを説明してくださいました。
 まず、「舞台美術とは何か」の説明をされました。「舞台美術は大きく三つに分かれる」ということでした。

@大道具・小道具
 (今大会の例)パネル、大階段、黒板、チラシ、机、椅子、かばん等。同じものでも、出場校によって、それぞれ違った種類のものが使用され、出場校の個性が出ていた。
A衣装
B照明
 役者の表情、セットをきれいにみせる効果のために使用する。
 その中でも大道具はデザイン(話し合い→スケッチ→模型を作る→確認)を大道具会社へ依頼し、作成してもらうということでした。

 次に今回の講演の主題である、パワーポイントを使っての舞台美術の紹介に入りました。
 最初に自己紹介から始まりました。多摩美術大学を卒業後、劇団四季の舞台助手を経験し、その後イギリスのロンドンへ留学。帰国後、宮本亜門さん演出の『太平洋序曲』でブロードウェイデビューを果し、世界的に活躍をされているということが英文で紹介されていました。
 そして、いよいよ松井先生が実際に手がけた舞台の仕組みの説明が行われました。その例を挙げます。
・真っ白な舞台に下手の照明を使用→暗めの印象
・ライブハウスのチラシを舞台に貼る→バンドがテーマの舞台
・ガラスを砕いたものを舞台に置く→照明効果で違う印象
・森を表現→木や葉を使用せず、紙に墨絵のように描く
・センターステージの周りに水を入れる→反射による照明効果
・嵐を表現→屏風(パネル・ダンボールなどを使う)を立てかけたり、打ち付けたりする役者の動き
・ペリーの表現→日本人にとってペリーは鬼に見えるためペリーに仮面をつける(仮面の表現は奥が深い)
・はりが落ちる=原爆投下→一つの舞台で時代を変える
・棒の使い方
 木を表現→五人の役者が棒を持って立つ(体の一部になるように小道具を使う)
 部屋の表現→七人で棒を使う(狭い部屋に閉じ込められている様子)
 扉が開く・部屋をのぞく表現→一本の棒を動かす
・舞台装置の移動も役者の動きの一部として取り入れる
・絵を描いた幕(ドロップ)を立てかけ絵を描いていく
・エッジ(スポットライトで照射された面の輪郭)にLED照明を入れる→LED電球でイメージが変わる
・月(LEDのシート)
・照明を当てる時、前からだけではなく、後ろから当てるとイメージが変わる
・アクリルに金メッキ→本物の金のように見える
・建物の襖や障子をあえて作らない
・台本の中の一番大切な部分だけを切り取って舞台を作る
・ワンアイテム決めて巨大にする
・床を斜めにする→通常でないものを表現できる
・風船を使う
・アウシュビッツを表現→靴に色をつける
・豪華な設定に置き換える
・白いスロープのみでの表現
・幕を取り除き、劇場の全ての構造を見せながら演じる
・観客も役者の一部とする
・階段の表現→組み合わせで変化(形や大きさなど)
・布の使用→軽くて運びやすい
・天井の後ろからの照明→天井が明るくなって役者が照らされる
・映像の使い方(役者が負けないように)
 実物に映像をかけてみる→溶けて見えたりする
 後ろ、センター、両サイドにスクリーンを置く
・平面図、側面図、正面図などを置く

 松井先生の講演は、とても刺激的でした。参加生徒、顧問の先生は、このような多種多様な観点から斬新的な発想で舞台が作られていることに大きな衝撃を受けていたようでした。
 先生の舞台美術の紹介が終了したあと、残りの時間を使って、今回の全国大会出場校に舞台を作る時の行程や工夫、そして、悩んだところを出してもらいました。各学校、舞台美術については、部員や顧問の先生と話し合い作成されていました。中には、美術部に依頼して学校全体が協力して舞台を作成している学校もありました。費用の件も挙げられ、いかに安価で少ない労力のものを使用するかということで、廃材を探し利用している学校もありました。また、大きい大道具について、場面転換の移動のために工夫している学校もあれば、先に組み立ててしまい苦労した学校もありました。松井先生から大きい大道具は、色つけ、作業等全てが終わってから最後に組み立てをしなければならないという助言を受けました。使用する素材についても、同じ素材でもうまく使えば頑丈になるもの、発色がきれいになり見栄えがよくなるものなども助言をして下さいました。
 生徒達も松井先生に直接さまざまな指導を受けながらの会となり、和気藹々とした雰囲気で講演会は終了しました。九十分の時間が非常に短く感じられ、舞台芸術の世界に魅せられた時間となりました。
 松井先生ご自身も今大会の二週間前は九州の福岡ドーム(コンサートの舞台設営のため)に来られ、再度、九州長崎を訪れたとお聞きしました。大変ご多忙の中での審査員および講演と本当に感謝いたしております。

(文責 九州文化学園高等学校
橋本良重)

〈アングラ演劇の登場〉
 わたしは、山口県下関の高校で、演劇部部長をしておりました。安部公房の作品を高校の文化祭で上演し、当時わたしは安部公房が一番新しいと思っていましたが、東京の友人からは「安部公房は古い。今はアングラだ」と言われました。
 アングラとは1960年代後半から現れた演劇です。従来の演劇は戦前からの歴史を担い、テキストの文学性に寄り添った、いわゆるリアリズムでした。アングラ演劇は文学偏重の新劇を批判し、彼らは自分たちの表現を「劇」と言わず「芝居」と呼びました。役者の身体を取り戻し、伝統芸能の身体を重視していました。価値観が激変する時代で、既成の価値観に「NO」をつきつける風潮がありました。
 アングラの中で、現代でも作品が語り継がれているのは寺山修司さんです。今年没後30年で、様々な公演やイベントが企画されています。寺山さんは、観客を劇の「共犯者」に仕立てます。そして、「共犯者」である観客を街の中に蔓延させ、劇を伝染させます。
 非常に暴力的で、ある種、非常に幻想的です。想像力によって日常を変革しようというものでした。

〈つかこうへいの疾走〉
 70年代になると、学生運動などの影響で「熱くなってしゃかりきになったところで、何も変わらないではないか」という考え方をするようになり、アンチアングラを目指す作品が出てきます。その先駆となったのが、つかこうへいさんでした。つかさんは戯曲を最初から書かず、現場で言葉を与えていきます。そして、強力な皮肉の効いた作品を生み出していきました。今、現役で活躍しているマキノノゾミさんや成井豊さん、鈴木聡さんは、つかさんの影響を大きく受けています。

〈80年代小劇場ブーム〉
 80年代になって、新しい潮流が生まれます。時代がどんどん豊かになっていったからか、軽さや笑いを追求するようになりました。この時期の演劇は、重力を感じさせないのが特徴で、演劇に言葉遊びやダンスを取り入れ始めます。たとえば「正念場」は、普通は「正しい念の場」と書きますが、それが「少年(の住む)場」という言葉遊びもあったりします。身体的にも言葉的にもストーリー的にも重力を感じさせません。

〈静かな演劇・笑いの変容・ウェルメード〉
 90年代には、バブルを背景とした80年代演劇の過剰な遊戯性や、軽さの見直しがなされるようになりました。そのひとつが「ウェルメード」という大人が楽しめる都会的な劇です。これは内容が分かりやすく、幅広い観客にアピールする現代喜劇を指すことが多いです。三谷幸喜さんや永井愛さん、鈴木聡さんや土田英生さんに代表されます。笑えてちょっと泣けて、少し考えることのできる、大人のコメディーです。
 そして平田オリザさんを筆頭とする「静かな演劇」というものがあります。絶叫型の発声や、おおげさな芝居がかった演技を排し、日常を抑制したタッチで、リアルに描くタイプの演劇です。
 もうひとつ、ある種歪んだ笑い…それまでタブーとされてきた表現にあえて挑み、現代人の病を描く作品が出てきます。松尾スズキさんが代表的ですね。松尾さんはあえて作品の中に障害者の役を作ってみたり、しかも松葉杖の人たちでラインダンスをやらせてみたり、かなり挑発的な作品を作っています。「かわいそうだ」といって隠す事自体が、差別だろうと。

〈3・11後の世界、そして―〉
 演劇は多様性を増していきますが、2000年代に入り劇場が次々と無くなっていきます。小劇場演劇は多様化、個性化に向かい、ムーブメントとしてつかみ出せる現象は乏しくなってきました。
 そこに起こった3・11、これを演劇はどのように受け止めるのか。そして、それに続く大きな日本社会の変容に、演劇はどのように向き合っていくのか。それを私は見続けていきたいと思っています。

〈演劇記者は何をするのか〉
 最後に演劇記者は何をするのかというのを簡単にご説明いたします。演劇記者というのは、主に夕刊の文化面・芸能面というところに記事を書いていきます。一番基本的なものは、今度このような公演がありますよ、面白そうですよと読者に紹介することです。そのために、作家や出演者、演出家などに取材したり、必要であれば稽古を見せていただき、その感触からどのような舞台になるのかを予測しながら記事を書いていきます。
 才能を紹介するインタビュー記事を書くこともあります。プロダクションの方から依頼が来ることもあります。
 劇評では、実際に上演されたお芝居を観て、どのように思ったか、面白かったか面白くなかったか、今の世の中で、このお芝居はどのように位置するのか演出が面白かったのか、役者の演技が面白かったのか、自分なりに咀嚼して評価しながら記事を書きます。
 新聞記事は短いです。短い中に、出演者・演出家・作家・劇団の名前や、作品のタイトル、あらすじをおさえておかなければなりません。なおかつ、読者に対しておもしろさを伝え、実際に作っている人たちや出演者に「どうだ、俺はこう観たぞ」と伝える。取捨選択するのが結構大変ですが、演劇記者になって一番面白い仕事は劇評を書くことだと思います。
 他に、地方で演劇を定着させるためにどのような取り組みがなされているのか、行政は演劇に対してどのような支援をしているのかなどという内容を書くこともあります。時には、連載を書くことも。
 一番忘れてはならないのは死亡記事です。死亡記事というのは「抜いた」「抜かれた」というのが如実に出ます。わたしは演劇以外の世界にも常に情報網を張り巡らせています。
 そんなふうにして、演劇に寄り添いながら、批評はするけれども実際に作る人たちへのリスペクトは忘れず、「でも、これはちがうでしょ」と言いたいところは言えるような関係を築いて活動をしていきたいと思います。

(文責  佐世保東翔高等学校
岩永 梓)

第五分科会

           部活動での悩み

部活動での悩み講師 乳井 有史

清野 和男

高森   章

第六分科会

 生徒講評委員会合評会

合評会報告と生徒講評委員会の魅力について

 

部活動のあり方について、講師の先生方がこれまでの関わり方をお話しされながら、参加した生徒たちとの質疑応答がなされた。
 参加した生徒たちからは、日頃の部活動の悩みについて質問がされ、他校の様子を聞いたり講師の先生方からアドバイスを頂いたりした。
みんなが意見を言える部活動
 まず乳井先生から苫小牧南高校の演劇部について紹介があった。日頃の部活動で心がけていることは、「みんなが意見を言える」ということ。演劇は仲が良いことが前提。スタッフと役者の上下関係を作らず、互いが協力することが大切。部長が核になって人間関係に責任を持つ。ディレクターが演出内容、プロデューサーが劇の外枠を埋めていく。「自分を犠牲にしても・・・」という思いになった時に感動できる芝居が出来ると思うと話された。

深刻な部員不足
 次に高森先生から顧問をされている学校の地区で、昨年十二月に行われた講習会の報告があった。先生が顧問をされている津山東高校は岡山県の県北にあるが、各学校の部員数も加盟校も減ってきており危機迫る状況である。そのため「原点に返った講習会を」ということで、昨年は情報交換や基礎基本の講習に切り替えたそうだ。
 報告では、部員不足のため、技術の伝達がうまく行かず、ごく基本的な方法や技術の喪失が部活動の停滞につながっている学校がある。「つぶやき帳」のようなものを作って後輩に伝えたいことを残しておくことも必要だということ。
 新入生勧誘では「映像による部活動紹介」や「新入生歓迎公演」をしたりすると効果があった。
 この後は参加生徒から部活動について自由に質問をしてもらい、意見交換を行った。
部員のまとめ方
 まずはじめは「部員をまとめるのが難しい。他の高校ではどのようにまとめているのか。」という質問に対して他校生から「みんなが仲良くやれるように気を遣っている。部員同士のトラブルは速やかに解決している。」「部活が終わった時、挨拶の前に、部員を指名し感想を聞く時間をつくっている。」「部長だけでなく、二年生全員がまとめている。」「練習時間と休憩時間のメリハリをつけるために、タイマーを使用している。」「二年生がひとりなので、部活が終わった後で後輩と一緒に話すよう心がけている。」という答えが出た。

部長の決め方
 次に各先生方に「部長はどうやって決めるのですか。」という質問が出た。「厳しい部長、優しい副部長。優しい部長、厳しい副部長。上級生が決めるが、いいコンビを考えて決めていく。二年生の気持ちを三年生がよく聞いて決める。バランスが大切。」「部長は投票で選ぶ。公表はせず、三年生が決める。上位二人を三年生が考えて部長と副部長を選ぶ。」「部長は三年生が指名。副部長は新部長が指名。ずっとこれでうまくいっている。」と回答された。

キャスト決め
 「いろいろな役をもらうが、出番の多い少ないでやる気の差が出る。やる気のない部員をどう導いていけばいいですか。」という質問に、高森先生からは「キャストを決める時に希望を出させて、練習させて二週間後に決める。オーディションでやるより効果が出ている。出番の無い人には係を与えたりする。キャストだから、そうでないからと考えずに全員が集中できる形を作る。」乳井先生からは「キャストを決める時は学年は関係なしに希望を出させオーディションをして、演出や部長、助演出などが話し合って決定する。並行して次の作品を練習し、年間を通して出演できる場を考えていく。自己犠牲の精神も必要。」清野先生からは「やる気の無い人の役を削る。そして反省させる。」という回答がでた。

キャストと裏方の優先順位
 「キャストと裏方の両方をしなければならない時にどちらを優先するべきでしょうか。」という質問には、乳井先生は「演出にその苦労を伝える。情報共有をする。」 高森先生は「キャストと裏方の会議を定期的にすることが必要。」清野先生は「二つやれることを幸せに思う。時間管理をしっかりすることが大切。」と回答された。

男女部員の人数差と発言力
 「男子部員が多く、女子の発言力が無いのをどうしたらいいですか。」という質問には、他校生からは「僕は男子一人。相手に伝える努力をする。伝えて、それから相手に合わせて頑張ろうと思う。」「ほとんどが女子部員。意見を言わないのは自分のせい。ちゃんと自分で意見を言うようにしている。」乳井先生は「女子全員で意見をぶつける。部長や顧問に相談してみてはどうか。」清野先生は「コミュニケーションが大切。言わないとわからない。」

台本選び
 「台本のいい選び方を教えてください。」という質問に、乳井先生は「数名の脚本検討委員会と顧問で相談して決めていく。最終的には顧問が何度か書き直してきめる。」高森先生は「脚本集などを参考にして選ぶなら、リストを作っておくと早く絞り込める。」 清野先生は「駄目なものになることを恐れずに、創作脚本を書いてみる。いい脚本の研究をすることも大切。」
 この後も「下がったモチベーションの上げ方」「顧問の先生が週に何回部活に来られるか」などの質問があった。
 講師の先生方は長年演劇部の顧問をなさっており、経験豊富で示唆に富んだお話であった。参加した生徒たちが、情報交換を行ったことでよい刺激を受け、今後の部活動に、より積極的に取り組んでくれることを期待したい。


(文責 純心女子高等学校
原  和美)

 生徒講評委員会は、同じ高校生の視点から高校生の上演する劇を真摯に受け止めることを目的としている。仲間たちと共に観劇し、劇を観終ってから討議し、劇に対する受け止め方や感じ方が違うことに気づくこともある。ディスカッションという深まりを持たせることで、自分自身の気づきはさらに大きくなる。この気づきは学びにも繋がっていく。それこそが生徒講評委員会の存在理由だと今回担当して強く感じた。
 さて、ここでは、生徒講評活動の一つの柱をなす「合評会」に焦点を絞って現状を報告するとともに、講評委員会の魅力を伝え、今後の講評活動がより良いものになることを期待する。
 合評会は、生徒講評委員と、各上演校の生徒数名、さらに一般のお客も含めた、総勢百名近い大討論会である。村田みさきさん(清真学園高等学校2年)の司会で進められ、十二本の上演作品ごとに講評委員会と上演校を中心にした意見の交換が行われた。以下は、その概要である。

(1)丸子修学館『K』
 フランツ・カフカの作品を通して、カフカ自身とその父親との間の不器用な親子愛が描かれた作品。前半では厳格でカフカにとって大きな存在だった父親が、後半の病気で寝込んでいるカフカを気に掛ける場面では、作中に出てきた「愛情の反対は無関心」という言葉が示すように、父親は息子のことを愛していたということが伝わってきた。

(2)名取北『好きにならずにはいられない』
 話の途中に震災による津波が出てくる。津波が来た直後に、アキが母親の制止も聞かずに瓦礫の中で大好きな妹と父親を必死に探す場面では、そこで上がった悲痛な叫びに、忘れてはいけないことがあるということを思い出させてくれた。

(3)北見北斗『ちょっと小噺。』(ちょこばな)
 部の存続に関わる一大事の中、部活動に熱中するその姿には、同じ部活動生として共感を覚えるところがあった。仲のいい友達がいて、大好きな落語があって、クラスで過ごすよりも、部活動でならより楽しく過ごせるということを、自分と重ね合わせた講評委員も多くいた。

(4)さくら清修『自転車道行曾根崎心中』
 自転車に乗っている等身大の高校生たちが出てくる。しかし、原子力による汚染物質を彷彿とさせる黒い箱の出現によって、クラスのみんなは次第にバラバラになる。近松門左衛門の「曾根崎心中」で、お初と徳兵衛が愛するがゆえに二人で命を絶ったように、最後にクラスにたった一人残る希は「この町が好きだから」といって自転車を漕ぎ、町と共に進みだすシーンでは、この勇気ある選択の背後には地元への愛を感じた。

(5)瓊浦『南十字星』
 戦争の中に生きた人々が描かれた作品。主人公の保科は絞首刑へ向かう前、南十字星が光る中で、未来に向けて力強いメッセージを発した。その場面からは今を生きる私たちに「まかせた」と言っているように見え、またその姿に祖国日本や人間に対する深い愛情を感じ、小道具や背景、照明などの効果も細かいところにまで気を使っていて、より説得力があった。

(6)沼田『うしろのしょうめんだあれ』
 広島原爆のことを忘れてほしくないというメッセージがこめられていた。舞台にあった6本の柱が檻や柵のように見え、それが原爆の被害の重さや現実から逃れられないということを表現し、また、役者の演技が丁寧であったことにより、演じる側のメッセージを受け取った。

(7)鶴見商業『ROCK U!』
 「在日朝鮮人」だからといって別のものとして見るのではなく、同じ者として見て欲しいというメッセージが込められていた。居場所を求めることは立場、国境民族を超えてもあると思った。また、さすがは大阪人と思わせるほど劇に元気や勢いがあり、客席を引っ張っていた。

(8)高田『マスク』
 集団の中での自分とは何かを考えさせられた。過去のコンプレックスを抱える女子高生のアケミは、普通とは何かという疑問を抱えており、普通が一番と自分の個性を抑え込むクラスメートたち、そんな彼らがいる教室の圧迫感や圧力は、現代に生きる私たちに個性をもっと表に出してほしいというメッセージを感じた。

(9)東『桶屋はどうなる』
 放射能による影響や食べ物の突然変異について取り上げられていた。誰もが嫌うゴキブリのチャバネと、突然変異をしてしまったベジ子という、人間とは違う存在だからこそ、食べ物を軽視している人間の身勝手さを教えられました。

(10)城ノ内『三歳からのアポトーシス』
 生物学や量子力学などテーマがたくさん詰まっている劇だった。たった4人のキャストで12人のキャラクターを演じており、さらに内容が複雑なこの作品を演じようとしたことに勇気と度胸を感じた。

(11)八重山『0(ラブ)〜ここがわったーぬ愛島(アイランド)〜』
 沖縄の中の石垣島という舞台で地域の事柄を取り上げて、地域のことをよく知ってもらいたいという気持ちが伝わってきた。一人一人の名前をそれぞれの島の名前にすることで郷土愛がより一層伝わってきた。ひとつひとつの動きが丁寧で細かい動きにも気を使っており、常に会場の笑いが絶えず、楽しんでほしいという思いを感じた。

(12)出雲『ガッコの階段物語』
 震災のことは日本中が考えて支えていかなくてはいけないよ、という日本全土に訴えているような感じがした。
 道具のひとつひとつにも意味が込められていて、アルバムに対するガッコの思いや、助かってしまった人たちの心情、助かることができなかった方たちの願いなども込められているのではないかと感じました。
 講評委員は今回の全国大会を通して、「現代に生きる私たち、若者に強く訴えかけるものが多くあった」と感じている。
 講評委員には、これといった特別な技能は必要ない。「こころのそこから演劇が好きだということが最大の適性であり技能」だと言える。


(文責 瓊浦高等学校
詫間 智之)

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