復刊91号  WEB版


5 都道府県だより  佐賀県  温故知新 佐賀を「さが」そう  原岡秀直

 

 佐賀県……どこにあるかご存じですか?九州の北西部、福岡県と長崎県の間(地図で確認して下さいね)に位 置し、よく素通りされます。
 さて、そんな佐賀県にも佐賀県高等学校演劇連盟(以下、佐高演連)なるものが立派に存在し、平成十四年には結成五〇周年という歴史の大きな節目の年を迎えます。しかし、長い歴史を有してはいるものの、この大切な歴史が徐々にかすんできているように思います。私を含め、経験の浅い(若い?)顧問が増え、連盟の発足から現在に至るまで諸先輩方がどのようなご苦労をなされ、また、多くの生徒達が何を思い、いかに芝居作りに取り組んできたのか、なかなか話題になることがありません。そこで今回、「演劇創造」の原稿執筆という機会をいただきましたので、佐高演連の歴史(発足当時を中心に)を紹介しつつ、正に「温故知新」、偉大な財産を掘り起こしてみたいと思います。
 佐高演連は、戦後間もない昭和二十七年に結成されました。ただ、結成されたとはいうものの教師側からの働きかけがあって組織化された物ではなく、当時の生徒達の懸命な活動の結果 生まれたものなのです。生徒達の手だけでこれだけの組織をつくり上げるなど、今日ではとうてい考えられないことですが、記念誌には、当時の部員たちの無鉄砲で向こう見ずな情熱と複雑で混沌とした社会情勢がそうさせたのだと、連盟が発足した背景について記してあります。そして、連盟発足と同時に第一回のコンクールも開催されました。会場は佐賀劇場、出場校はわずかに六校だったそうです。風呂敷包みを抱えて、舞台装置と一緒に貨物列車に揺られながら移動……ほとばしる創造のエネルギーにはただただ敬服するばかりです。
 以後、第二回・第三回のコンクールも開かれ本県の高校演劇活動は順調な滑り出しを見せたかのようですが、生徒主導での運営ですから、様々な不都合が生じてきました。コンクール開催に伴う渉外活動や運営費、会場費等の財政面 で行き詰まったのです。そもそも財政などというものは生徒にはなじまない仕事ですから無理もありません。そこで、教師たちの手によって、連盟を確固とした責任体制の下に再組織するために、度重なる真剣な会合が続けられました。その結果 、コンクールは開催できず一年間のブランクが生じたものの、明確な規約と責任をもち、教師と生徒が一体となった新連盟が、旧連盟の発展的解消の中から産声をあげるに至ったのです。新連盟は早速コンクールの再建に乗り出し、昭和三十一年には第四回のコンクールを開催しました。
 意気揚々として船出した新連盟でしたが、翌三十二年には再び運営面の問題からコンクールが開催できない状態に陥ってしまいました。原因の一つにまたしても財政がからみ、三十三年からは高校の講堂を会場として第五回目のコンクールが再開されたのです。既成の劇場とは違い悪条件の中種々の困難を克服してコンクールを成功させたことは、連盟のその後の運営に大きな自信をもたせることになりました。三十四年からは事務局を輪番制にしたり、三十七年には近代的劇場でのコンクールを再開したりと以後の活動は大きな挫折をすることもなく順調に発展を続けてきました。
 (突然飛びますが……)現在加盟校十七校。第一回当時と比べて加盟校が飛躍的に増えているわけではありませんが、懸命に活動を続けています。平成十三年度は、第四十八回のコンクールを開催、十二月には九州ブロックの大会を佐賀県武雄市で開催します。地元開催ということで、これを機に佐賀の高校演劇のレベルアップを図ろう、いい舞台を作ろうと生徒も教師も一生懸命です。全国の舞台の経験は数えるほどしかありませんが、どこかの舞台で佐賀のよさを「さが」して下さい。 (佐賀県高等学校演劇連盟    事務局長)