復刊96号  WEB版


第三分科会 《舞台美術》 講師 土屋 茂昭

 はじめに、いくつかの上演校の舞台美術に関しての具体的解説。

○千葉県立薬園台高校  リアルな装置は、観客に安心感を与え、観客のイメージ作りを助ける。窓の外に作ったホリゾントは、舞台上の世界を集約させる働きがある。
○群馬県立安中高校  袖幕とパンチカーペットを敷いただけの抽象的な舞台は観客のイメージに訴える方法。もう少しパンチが狭い方が、閉じこめられた緊迫感・凝縮感が出たはず。
 薬園台高校と安中高校は非常に対照的であり、具体的か抽象的か、どちらを選択するかは、上演する脚本によって判断する。
○東京都立第四商業高校  オブジェを移動し面を変えて場所の変化を表現。アイデアは良いが、効果は疑問。オブジェの模様が、もう少し具体的なイメージを提示した方が良かった。
○山口県立岩国総合高校  簾の向こう側の奥行き感がすばらしい。縁側の外の植え込み等細かい点まで気を配り、夕日の当て方なども工夫して非常に印象的。劇的効果を生み出す仕掛けが装置の中にたくさん考えられている。
 あくまでも、舞台装置は自由な発想で考えるべき。ト書きに書いてあることに囚われなくても良い。

 次に、舞台上での構図の意味について、平台と箱馬を使って説明。何人かを舞台に上げ、参加者と見え方の違いについて確認した。
○構 図  シンメトリーは安定感、安心感、統一、権威を、アシメトリーは不安定感、秩序立っていない状況を表すときに使用。また、円は安定感のある求心性を感じさせ、四角は秩序だった形式性がある。
○開帳場、八百屋舞台  ヨーロッパの古い劇場は、初めから開帳場。舞台奥の人を見やすくするため。また、演出的立場の違いを表現しやすい。ここで平台と箱馬を出し実験。実際に人を立たせて検証。その例を観た上で、演出的な意図をどう表現するかが、舞台美術の仕事と説明。
 続いて、具体的な舞台作りの方法に関するポイントの解説。開帳場の構造、作り方。パースペクティブ、張り出し舞台の考え方等。
○大道具を作るときの材料  リアルな装置はベニヤが中心。コストがかかる。抽象的な舞台には、布などの使用が可能。捨てられるシーツを集める等の工夫を。素材は買うものではなく集めるもの。ビニール、金網、平台も使いようによっては色々な見え方がある。


 最後に、上演校に舞台を作る上で大変だったことを質問、同時にアドバイスをいただく。
千葉県立薬園台高校  今回のパネルの高さは八尺。普通の建物の天井は八尺なのでちょうどよい高さだった。
東京都立第四商業高校  キャスターの取り付け位置を決定するのに苦労。三点式のキャスターを利用するとよい。
愛知県立滝高校  はさみ足の使用に驚き。階段の一段の高さは7寸。四段+平台で84pが基準となる。
北海道池田高校  袖幕は吸音材。自然な芝居を目指すならパネルの使用を。
山口県立岩国総合高校  上手床の間の欄間が飛び出して曲がっていたのは惜しかった。
麻布大学附属渕野辺高校  鎧・衣裳が手作りなところは素晴らしい。しかし、刀は絶対に折れてはいけない。
大谷高校  冒頭の場面、布からの顔出し仮面効果がおもしろかった。
福島県立小名浜高校  ホリゾントに映し出される一度目と二度目の月の大きさを変えたのは劇場的リアリティーとして観客には違和感なく受け入れられるはず。おもしろかった。

 

第四分科会 《部活動》

「やる気こそが 周囲を動かす」   講師  斎藤  洋  末安 哲  安東 達夫
▼斎藤 洋先生  全国から、いろいろな悩みを持つ高校生が集まり、実際に交流したことが、力になって行くと思います。それが一つの強みで、学校に帰ったら、演劇部の核になって行けると思います。
 「常に清く、正しく、ずうずうしく」―これが私の演劇部のモットーです。演劇部が学校で清く正しくずうずうしく立ち居振る舞いをすると、職員室が応援してくれ、上演の時に先生達が見に来てくれます。生徒がよくやってるなとなると、応援してやろうという形になります。常に演劇部というものを公演だけでなく、学校の中でアピールできて行けば、部の活動は盛んになって行けると思います。以前ラクビーで有名な工業高校にいた時は、部員を連れて、学校中を一日かけて回り、演劇の材料になるものは、至る所にあると実感しました。大きな木は建築科で切ってもらっ たり、電気科で手伝ってもらったりしました。そして,自分達の芝居を見てくれるのは友達だと思います。しかも、お客様がいないと成立しないのが演劇という芸術ですから、どうしても友達を大事にしようと心がけて行けば、自ずからこの道は開けて行くと思います。
▼末安 哲先生  私は四つの高等学校の演劇部の顧問をしましたが、四番目の学校は同好会ができたばかりで、金も人も物もない状況でしたが、どうにでもなることを身にしみて感じていました。一番のポイントは、学校の中での演劇部を大事にすることです。校外の公演を校内の公演のリハーサルとして、校内の公演の質を上げること、例えば文化祭の公演で客が増える状況を作れば、自ずと演劇部が校内で下に見られたり、演劇部が何をやっているのかわからないという状況はなくなります。それから、ベニヤ板や垂木などは体育祭の応援パネルをもらいます。ただし、照明は少なくとも百数十万なければ揃いません。生徒会のお金とは別枠のお金を取って来てもらえるように、皆さん方がやる気を起こして顧問を後押しし、顧問にやる気を起こさせ、いろいろな所からお金を探して来て揃えてもらうのです。
 また、三年の時、私も担任の先生に、演劇をしていると成績が下がると言われ、それから意地になって勉強しました。その私が演劇部 の顧問になりたくてなりましたので、「勉強は勉強でやろうよ」しかし芝居はもっとやりましょう」ということを私は訴えて来ました。 ▼安東達夫先生  どうすれば部員が辞めないかという問題で、顧問がいろいろと説得するというものがありましたが、私もそういう経験があります。だまされたと思って、とにかく一回公演をしなさいと言います。私の経験から言えば、幕の降りた瞬間の気持ちは、公演してみなければわかりません。みなさんにもそういう経験があると思いますが、芝居中毒という言葉では変ですが、演劇には、一度体験すると、もう他がどう言おうと、また続けたくなるという魅力があると思います。だから、とにかく一回公演し終えるまで続けなさいと言います。それでも辞めてしまえば、こちらもあきらめるという方向でやっています。部員が少ないとか、照明設備が整っていないとか、お金がないとかいうことにたいして、確かに顧問が働きかける必要があると思います。大分県でも部員が減り、一人芝居が、わりと多くなってしまいましたが、演劇とは、稽古場や人数とか、そういうものに恵まれている時よりも、逆境の時のほうが気持ちが入って、いい劇が作れると思います。ですから、逆境と思っている人は、今こそいい劇ができるという気持ちでやると非常にいいと思います。

第五分科会 《表現教育》

        講師 小 林 志 郎 (日本音楽学校) 佐 藤 尚 子 (青年劇場) 柳 沢  学 (都立飛鳥高校)

 講習会としてはじめて登場する「表現教育」の分科会。相模大野高校の視聴覚教室に多くの参加者を得て開催された。
 まず、柳沢さんの都立飛鳥高校での実践報告。飛鳥高校は単位制の普通科高校として、2、3年次が自由選択の形を取り、「演劇」科目は、国語科の中の学校設置科目として置かれている。内容は「演劇論」T、Uと「劇表現」T、U。講師は、教員免許をもっていないために国語科の教員とのティームティーチングの形式を取る。
 演劇を選択科目の中に入れた目的は、自己を解放(開放)し自己表現をするため、とのこと。
 問題の一つは、講師のこと。どのようにして、どのような講師を選んでくるか。
 しかし、「演劇」の授業は、生徒の内面と関わることも多く、カウンセリング的な部分もあり、それだけに意義は大きいとのことであった。  青年劇場の佐藤さんは、栃木県の足利南総合高校で一年間、演劇の授業をおこなった。演劇人が学校の現場に入った実践報告。週の火曜日の5、6校時が、それで、2年次で「現代演劇」、3年次では「歌舞伎」の授業となり、佐藤さんは、2年生の「現代演劇」を担当した。授業は、公開講座として市民に開放された講座であるために、一般の方も参加した形で行われ、一年後、市民会館の小ホールで有料の公演を劇団の仲間やボランティアの協力でおこなった。
 一年間のおおよその流れは、基本を一学期にやり、二、三学期は最終公演に向けて。しかし、一本の作品を仕上げるためには、時間が足りず、放課後を自主的な取り組みとして使わざるを得なかった。そもそも本読みの段階から、生徒は漢字が読めず、意味も分からずという手取り足取りの状態。
 しかし、この授業を体験する中で、それぞれが自分の壁にぶつかり、しかも、その壁が目に見えるものであり、それを乗り越えようとしていくうちに、生徒たちに変化が生じてきたし、一緒に参加した大人たちも変わってきたとのこと。
 問題は、経済的な問題として、一時間あたりの単価の安さ。また、スケジュールの問題。つまり、舞台の仕事との関係の問題。
 小林さんは、これまでの教育と演劇の歴史を考えると、演劇が教育の中に入っていく機運は、大正7、8年頃、また戦後のアメリカの教育政策下に盛り上がりがあったが、どれも潰れてしまった、総合的学習の時間などを考えると、今こそが三回目のチャンスの時であると指摘。
 しかし、他の教科においては、その教科研究が進んでいるのに対して、演劇は、教育目標・教育内容・教材や指導書の存在、また、評価のことなどを研究する必要があり、そこから、「ナショナル・スタンダース」を作り上げて行かなくてはならない。また、幼稚園、小学校、中学校、高校と一つの流れにあると考え、その連携を踏まえた上での高校における演劇授業が大切である。
 以上、三人の方から、学校現場の教員の立場、その現場に入った演劇人の立場、それらを踏まえた理論的な立場から話がなされた。
 質問として、評価の問題があり、柳沢さん、佐藤さんから、その難しさが報告され、評価される立場にある者との十分な話し合いが必要であるという方向が示された。
 演劇を教育の中に生かしていくことに関して、学校現場も、演劇人も、また、地域のホールや劇場施設も、その目的・意義を認識し始めてきている。教育そのものも生徒が主体的に考え、行動することを要求する時代になりつつある。
 短い時間の中であったが、教育の中における演劇のあり方を考える点で、実りある議論が展開された。