復刊96号  WEB版


― 雑 感 ―   安東 達夫

 全国大会を観て色々なことを感じました。出場校はどこもすばらしかったのですが特に印象に残った劇は、まず千葉県代表の薬園台高校「桜井家の掟」です。演劇の激戦区を2年連続代表として来ただけに、さすがに脚本、演出、演技、装置や音楽などどれも軽快でお洒落な舞台を創ってくれました。離婚という深刻なテーマを若者の視点で痛快に笑い飛ばしながら、しっかりと現実に向き合おうというしたたかな決意さえ感じさせる秀逸の作品だと思いました。
 近畿代表大谷高校「生きっぶし」も両親の離婚という厳しい現実に不特定多数とのメール交換で心を癒そうとし、それもやがて傷つき自殺までしようとするが寸前の処で踏み止まり生きる意思を掴むまでの心の葛藤風景を見事に舞台にのせてきました。正に演劇でしか表現できない作品だと感心しました。ただ、高校演劇でギャグ的効果を狙い好んで多用されるゴキブりを登場させる演出はやらない方がよかったかなと思いました。
 他にも小名浜高校「チェンジ・ザ・ワールド」・久留米大附設高校「フラスコ・ロケット」・岩国総合高校「めろん」・滝高校「いってきます!」・淵野辺高校「九郎〜源義経流亡誌」等々、好演、力作が多かった大会でもありました。
 それとは逆に、この大会で気になった点もいくつかありました。まず、脚本について、設定にやや無理があり、「それはないだろう」と思う場面がいくつかありました。たしかに、演劇は作り事で誇張した表現は作劇の常として認められているわけですが、たとえば「めろん」の妊婦が相撲をしたり、「フラスコ・ロケット」で不登校ではなく毎日来ているクラスメートの存在さえ知らないという設定やら、「いってきます!」や「チェンジ・ザ・ワールド」など死を安易にドラマの幹として取り入れることに違和感が覚えたのも事実です。
 また「口なし」とか「エイズでうつる」等を台詞として言わせる脚本はその当事者や関係者が聞いたらどう感じるかを考慮してもらいたかったことです。
 それとは少し違いますが障害者問題を扱った作品として四国代表の阿南養護学校ひわさ分校「まじめにヤレ」について最後に触れておきたいと思います。
 この劇は今年の大会で私が最も期待し注目していた劇です。もっと言えば審査員とかいう立場を抜きで観たかった作品だったのです。
 というのも、私が勤める学校でもう20年近く取り組んできた心や体になんらかの障害や病気を持つ生徒との劇創りの経験から、こうして全国大会までもってくる苦労や大変さがわかるだけに応援隊の一人としていたかったのです。
 ところが幕が上がり、だんだん劇が進むにつれ、なんというか、期待が大きすぎたせいもあるのでしょうが、劇の思いがこちらに届かない空しさを感じてしまいました。事前に読んだ脚本では作者の思いや意欲的な実験的試みを含んだ力作としてそれがどう舞台に表現されるか楽しみにしていました。国家あるいは社会権力の中で自分たちの意志を容易に発揮できない養護学校に通う生徒など社会的弱者の現代社会の矛盾を伝えたかった劇なのでしょうが、この劇では皮肉なことに作者のねらいと強力な演出意図のもと、その枠の小さな一こまずつを計算し尽くされた精密機械の部品の如く養護学校の生徒が無機質な演技を「やらされて」いたのです。
 私が期待していたのはそうした感情のない無表情の舞台ではなかったのです。彼らの息ずかいや生の彼らの声が聞きたかったのです。彼らは作者の思惑どおり「まじめにやらされて」いました。劇の題とは逆ですがもっと「ふまじめにヤレ」れば、この劇は面白かったかもしれません。
 彼らがもっと自由に生き生きと枠からはみ出しても出来る劇が創れ、さらにそれが社会という舞台にも広がりが持てればいいなあとそんなことを思いました。 (大分県高文連演劇部常任委員)