復刊97号  WEB版


都道府県だより

熊本から 吹く風  岩 永  敦


 最近は、客席に座って高校演劇を見ていると、だんだん淋しくなってくる時がある。何が淋しいかというと、自分の周りの女子高生たちは大口開けて笑っているのに、自分はちっとも笑えないという場面が、けっこう頻繁にあるからである。「何が可笑しいんだろう?」
と訝る一方で、「もしかしてこの笑いがわからない自分は、年を取ったということだろうか」などといった一抹の不安も心の片隅に感じたりしている。それでなんとか笑ってやろうと思って見ているけれど面白くないものはやっぱり面白くなく、いつの間にか眠ってしまっていることもある。まったく失礼な客である。そんな芝居を見終わった後には、心の中にもうら寂しい風が吹き抜けていったりする。
 それにしても、いつからこんなに高校演劇はパワーを失ってしまったのだろう。どうも演劇のパワーとお笑いのパワーが混同されているみたいで、ギャグを機関銃のように繋いでいけばパワーのある芝居だと思いこんでいるのではないかと思われる節がある。勿論「笑い」そのものを否定するつもりはないし、「笑い」の無い芝居というのもどうかとは思うが、「笑えれば面白い芝居」というわけでもあるまい。反対に「笑いはないけれど面白い芝居」というのは間違いなく存在するに違いない。
 有り難いことにそういう「笑い」の風は、ここ九州の熊本まではなかなか届かないようで、こちらでは相変わらず、素直で朴訥とした芝居作りにみんなで精を出している。とはいえ、では熊本の芝居にはパワーがあるか、と聞かれたら少々心許ないというのも事実である。なんだかみんなこじんまりとまとまって、小ぎれいで、お利口さんで……。「毒にも薬にもならない」とはこのことである。
 熊本でも例年いくつかの講習会を開いている。七月の創作脚本講習会に八月の夏期講習会、舞台技術講習会などである。それで講習会の内容を生徒たちと話し合って決めるのだが、どうも自分たちが下手だということは自覚しているらしく、音響や照明のことを勉強したいとか、演技や演出の勉強をしたいとか、近年増えてきた創作脚本の書き方を勉強したいとか、いろいろな希望が出てくる。確かに大会などを見ていると、照明の使い方が下手な所も多いし、演出の目が行き届いていない舞台も多い。創作脚本に至っては芝居になってないものもあり、見ていて何がどうなったのかわからないままに問題が解決し、幕が降りちゃったりする時もある。そういう状態だから、講習会では即効性のある「技術」的なものをやる場合が多い。それで生徒たちもえらく役に立つ講習会だったと言って満足している。
 だけど「少し違うんじゃないかな」っていう気もどこか僕の心の中にはある。確かに芝居作りの最低限の技術や知識は必要かもしれないけど、でも本当に僕たちに求められているのは、「パワー」なんじゃないだろうか。自分たちの周りにある現実に、真正面から立ち向かおうとする「パワー」。不条理でどうにも納得行かない世の中の現実に立ち向かう「パワー」。そういうものなんじゃないだろうか。昨年度の九州大会で講師の石山浩一郎先生は「怒りを持て」と仰ったけれど、それはたぶんこういうことなんだろうと思う。
 さて今年の熊本の大会はどうだったか。熊本の芝居にも少しはパワーが出てきただろうか。これまでよりもあったような気がする。でもまだまだ前途多難と言った方がよかろう。しかしやがては熊本から「演劇のパワー」に満ちた風を九州へ、全国へと送り出したい。そのために来年度は小学校や中学校への働きかけを強め、演劇愛好者の裾野を広げ、高校演劇の活発化を目指そうと思う。きっと彼らの中には眠っている莫大なエネルギーがあるに違いないのだ。それが爆発したら、きっと強烈な風が吹くに違いない。
(熊本県高文連演劇部委員長)