復刊99号 福井(鯖江)大会特集号  WEB版


審査員講評
高校演劇の魅力!  関原  暉

 北海道の演劇専門部から全国審査員の推薦を受け、現場顧問を遠ざかって久しい私に果たしてその大役が務まるだろうかと、大きな不安と緊張を持って大会に臨みました。幸い審査員会は自由なアットホームな雰囲気で、私にとって勉強になり新たな目を開かせてくれた三日間でした。
 上演十一校の舞台はいずれもみずみずしい感性と自然な演技にあふれ、審査という順位づけをするには忍びがたいすばらしい舞台ばかりでした。その中で特に私が印象に残った舞台を主に、感想を述べたいと思います。
 伊達緑丘高校『りんごの木』
 りんごの木の一代記ともいうべき内容を、ミュージカル仕立てで楽しくダイナミックに演じて見せてくれました。りんごの木が老人の愛情によって一人前に成長していく過程が前半で演じられ、離農や開発という時の流れで一人ぼっちになり、最後は台風によって自分を大空に運び去ってもらい、ラストで再生を予感させるという内容を優れた演出と歌や踊りや集団演技で表現しました。同じ北海道地区の人間として、以前の同校の劇に前面に出ていた作意が随分と薄らいで、観客の自然な共感を呼んだように感じました。
 脚本上で前半の木の成長時代の動の比重が重過ぎて、後半の別離の静の部分が軽く流れた印象が強く、ラストの感動が今一つ迫ってこなかったのが残念でした。
 宇都宮女子高校『美術室より愛を込めて』
 ショパンの別れの曲が流れる中で幕が開き、学園祭前の美術室の中で見せる少女たちの友情と反目、和解と最後の別れに至るまでの思春期独特の内面世界が伸びやかに演じられたように思います。舞台も美術室と準備室の違いや人が消えてしまうロッカーの工夫など女子校とは思えないほどのみごとな装置で驚かされました。生徒創作脚本ですが、現実描写の背後に見え隠れする家庭の陰や、少女たちの心象と劇中劇とが重層的な構造になっている点など作品の水準の高さに感心しました。
 映像部分の印象が強過ぎてやや劇と分離している点やなぜ劇中劇がハードボイルドなのかなど全体の統一感に欠ける点が惜しまれました。
 三本木高校『贋作 マクベス』
 シェイクスピアの代表的な悲劇を、高校生がそれも喜劇仕立てで舞台化するという破天荒な挑戦に驚嘆しました。喜劇ですがマクベスのストーリーには忠実で、複雑な時空の転換を携帯電話を使って瞬時に解消してしまうという大胆な発想には脱帽しました。
 物真似やギャグなどで客席から大いに受けていましたが、この作品は脚本で読んだ時のほうがおもしろいように思いました。演技を含めて舞台形象は今一つ物足りない印象で、これは作者でマクベスを演じた中屋敷君が卒業してしまい、作品への思い入れや演出・演技力が十分に発揮できなかったのではという感じを持ちました。ラストの「下手でもいい。楽しければ」の開き直りとも取れる一言がこの劇のテーマであり、高校演劇の持つ魅力をストレートに表現しているように感じました。
 丸亀高校『どよ雨びは晴れ』
 五十分のリアルタイムで、修学旅行研修委員の仲間たちが織りなす日常的な青春の一コマを舞台化していました。これは自分たちの目線で日常を観察し、脚本にし、演じた成果であり、楽しい中にも傷つきやすい青春が無理なく等身大に表現されているように感じました。方言やうどんで郷土色や生活感を取り込み、コミカルでアンサンブルのとれた演技がいっそう内容を盛り上げていました。三角関係的な恋愛という高校演劇にはどうかなと首をひねるようなテーマを楽しくさわやかに演じて見せた脚本・演技・装置の総合力と完成度は屈指だったと思います。
 スケッチ的な内容とハッピーエンドに多少の物足りなさを感じたことも事実で、現実の高校生活はもっと辛く暗いのではという思いもしますが、こんな高校生活であって欲しいという青春戯曲を目指したとの演劇部のコメントを読んで納得しました。
 見延高校『モンタージュ〜はじまりの記憶〜』
 幕が開き、メルヘンチックな舞台の美しさに客席から嘆声がもれました。幼い二人の少女が時の移ろいの中で、大切なものを失いながらいつしか老境を迎えるという女の一生と二人の友情を叙情的に描いて見せてくれました。演技・装置・効果など完成度が高く上質な舞台に仕上がっていたと思います。
 これは生徒創作の既成作品の再演ですが、原作の二人芝居を変えたために二人の女の虚と実の閉ざされた世界が少しボケたように思います。ウソの中で生きる女の姿を、叙情的でなくもっと突き放して描いてみたら、人間存在の哀しみにさらに迫ることができたのではないかと思います。
 番外編ですが、同じ8月神戸で開かれた全国高校PTA大会のアトラクションで宝塚北高演劇科と西宮高音楽科が合同で神戸大震災をテーマにミュージカルを上演し、全国から集まった四千人の父母・教師を感動の渦に巻き込みました。
 ここにもみずみずしい感性とエネルギーに溢れる高校演劇が存在しており、芸術としての演劇科の可能性を指し示していたように感じました。
(北海道札幌南陵高等学校長)