復刊99号 福井(鯖江)大会特集号  WEB版


指導者講習会概要

   第一分科会 対話の時代に向けて  講師 平田オリザ
   第二分科会 映像と演劇 講師 蓮見 正幸

   第三分科会 舞台美術に関するワークショップ 講師 土屋 茂昭
   第四分科会 生 徒 講 評

 

第一分科会 対話の時代に向けて  講師 平田オリザ
 講習会第一分科会は、鯖江市文化センター大ホールで行われました。400人を越す参加者の中、平田オリザ先生の「対話の時代に向けて」と題する講演が行われました。
 最初に、テキストを使って芝居をしました。会場から演じたい人を募り、舞台上で実際に演じてもらいます。間を生かすため、間の前後をコンパクトにするということや、日常で自然にやっていることを自然に演じることの難しさを改めて実感させられました。そして、本当の演出家はきちんと相手を意識する時間をとってあげ、その人たちの関係を作ってあげることで、役者の背中を押してあげるのが大事だということを教わりました。また、俳優は他人に話し掛けるときの声や緩急の違いを自分で発見するということが大事なのだということも教えられました。
 私たちが演劇をやっていく上で大切なことは、自分のコンテクストを広げる事だと言います。コンテクストとは、言語活動の全体像のことです。私たちは特に、相手も自分と同じコンテクストを話していると思って生活しがちです。しかし言語は、自己中心的になりやすいものです。だからこそ、自分のコンテクストを押し付けるのではなく、相手のコンテクストを理解することが大切だと言います。これができなければ、演劇というものはうまくいきません。もし自分のコンテクストだけで役をやると、自分の役しかできなくなってしまうからです。他人のコンテクストとは、滅多に重なることはありません。簡単そうに見える台詞でも、演出家と俳優のコンテクストが異なると普段使わない言葉を強要され、衝突する可能性もあります。そうならないためにも、コンテクストを広げる必要があります。
 このコンテクストは、他人の人生にふれること、そして他人の言葉に敏感になることで広げることができます。しかし、これは基礎訓練なので、できるようになるには技術が必要です。その技術を作ってあげるのが、演出家の仕事でもあります。また、俳優の役づくりとは、別の人格にのりうつることではなくて、自分が普段人とどうコミュニケーションをとっているかを出発点にして考えていくことです。そして、それらを認識する為にできるだけ自由な発想を持つということが大切です。バラバラの価値観のまま、共同体をうまくやっていくには、このコミュニケーション能力が必要です。この能力を学ぶ手段として、演劇は重要です。認め合って一つの作品を創り上げていく演劇というものは、これからの社会に非常に大きな役割を果たすと考えられています。この様に、自分の演劇活動と社会のあり方をすり合わせていくのが、演劇と社会の関わり、つまりアートマネージメントの一例でもあると言えます。この講演の主題である、日本人の苦手な対話というものは、このようなコンテクストのすり合わせのことなのです。
 私たちは、演劇という二ケ月程のコンテクストのすり合わせを通して、一つの文化を創り、あたかも家族のように、恋人同士のようにふるまうノウハウを持っています。これは、演劇に関わっている人たち特有の能力です。平田オリザ先生の言うように、自分たちのやってきたこと、やっていくことに誇りを持って、社会の中で、高校時代に学んできた演劇という技術を生かすようなことをしていけば、少しずつでも『良い』と呼べる社会になるのです。
 コンテクストをすり合わせるということは、決して簡単なことではありません。しかし、不可能なことでもないのです。『対話』を主題に、ここまでわかりやすく話を広げてくださった平田オリザ先生、本当にありがとうございました。(文責 福井商業高等学校 松浦 由佳利)

 第二分科会 映像と演劇 講師 蓮見 正幸
 「舞台中継、つまり映像は舞台には勝てない。じゃあ、一体何で勝つのか? それは映像の特典で勝つしかない。」
 まず、舞台中継の制作の流れについてビデオで簡単な説明があった。
1 ビデオカメラによる下見
 舞台稽古の日にビデオカメラで3方向から撮影をし、あらかじめ舞台での俳優同士の重なり合いをチェックする。
2 カット割り作業
 ビデオカメラの映像を見ながら、どのように舞台をテレビ的に切り取っていくかを話し合う。劇場に設置されるカメラの番号、画面のサイズ、その画面の中に入る人数を示した台本を製作する。この台本はどんなに早い人でも、3分のものを作るのに、1時間はかかる。それは、舞台で一生懸命に演じている人に失礼に当たらないように、何度もビデオを見返して考えるからだ。
3 カメラリハーサル
 ディレクターのみならず、録音の担当者、VTRのスタッフ一同が一丸となって、一つの舞台をテレビ的にどう表現するかを自覚する。劇場で撮影された映像が中継車へと送られ、中継車の中では、カットチェンジのタイミングがチェックされる。 
4 リハーサル後の打ち合わせ
 本番に向けて、技術陣全員一緒に最終チェックが行われる。舞台中継の難しさを改めて実感するという。
5 本番収録
 このような流れを経て、舞台中継がつくられる。今回の総合文化祭においてもこのように2段階、3段階といういろんな手間をかけて、みなさんの一番いい瞬間、一番輝いている瞬間はどこなのかということを常に探している。これは、みなさんが舞台の上で何度も練習して、顧問の先生や演出家と台本を書き換えたりして、人に見せるということを模索しているのと全く同じことなのだ。
 次に、去年の優秀校である小名浜高校のチェンジ・ザ・ワールドという芝居の1シーンを記録映像と実際に取った舞台映像を見た。舞台において、感動を呼ぶのは何か? その一つの方法として『共感する』ということがある。例えば、自分が生きた道とか、自分が触れた痛みとか、自分が面白かったこととかそこの一つ一つに聞いて触れていくことが感動を呼ぶことにつながっているのだ。私達、観客は舞台全体を見ているつもりだが、その瞬間に自然にどこか一部分に目が集中してしまう。だからこそ、泣けたり笑ったり出来るのだ。ディレクターが、お客さんが見たいと思うサイズや、距離で映像を引き出すことによって、どんどん深まっていく。このリアル感が映像の出来る唯一の特典なのだ。
 だから、ディレクターや演出家と呼ばれる人は、その芝居の一番のお客さんであり、その芝居をどれだけ愛し、理解し、どうやって切り抜いていこうかということを常に考えている人でなければならない。ここが疎かになるとカット割りも荒くなるし、便宜上、切ってとってしまえばいいという感じになり、最もつまらないものになってしまう。これをやらないようにするのが重要なことだ。このことはテレビを作る人だけでなく、みなさんのような芝居を作る人にもいえる。
 7年間、つかこうへい氏の事務所で演出助手をやってきた。つかこうへい氏という人は最初の段階で台本を作らず、役者を見て台詞を付けると言う方法をとる。この方法には、演出が役者に確実に伝わり、役者が伸びるという利点がある。実際に、その方法で芝居を作って見せてくれた。「共演者に伝わらないものが、客に伝わるわけがない」と、目を見て話すという基本の大切さを強調した。今回は、キャスト経験のない人が舞台に立っていたが、引き込まれ、夢中になってしまった。最後に蓮見先生は、今日のことが少しでもこれからの芝居などの力になれたらいいと語ってくれた。 (文責 福井商業高校 横山 千晶)

 第三分科会 舞台美術に関するワークショップ 講師 土屋 茂昭
 初めに、「実際の舞台美術から読み取れるものは」として、先生が今までに創られた舞台装置の映像を見ながらの説明があり、後半は講義へと移行しました。
 舞台美術のスタートラインとは何でしょうか。
A 作品に密着した表現形式を的確に選択する。
B ト書きを熟読し、舞台装置への要求を理解する。
C 作品の求めている最も重要な主題は何かを探求する。
D 演出家が表現しようとしている意図を理解する。
 私の思う正解はDです。他の選択肢が適切でない理由は、
A…装置が完成した結果、表現形式が見えてくるものである。装置を作る前から「写実」「抽象」を決めてスタートするものではない。
B…最初から専門的知識を基に戯曲を読むべきではない。まずは戯曲を読んで、感動するなり、心を震わせるのが先決。戯曲のト書きはまず無視
C…戯曲の中から自然に訴えていること、要求することを読み取ることは重要だが、舞台美術は技術者だけでできるものではない。
という理由からです。つまり、舞台美術家の仕事は、演出家の意図を理解することから始まります。なぜなら、演出が表現しようとしている意図は、全ての出発点だからです。これは複数で演出する場合も同じです。しかしその前に、それぞれが脚本をしっかり読まなければいけないのは言うまでもありません。
 演劇を図式化すると、演出・役者・技術者が戯曲を中心に三角形を形作ります。そして三角形は、お互いを刺激しあいながら前へ進み、上演というゴールに到着するのです。舞台装置は、戯曲から独自に視覚的構成を発想すべきですが、最終的にはそれを演出家の意図と合致させる必要があります。
 舞台美術家が読むべきものは何でしょう?美術全集、文化史体系、舞台美術・写真集、ファッション・デザイン集、戯曲集、百科辞典…いろいろ考えられますが、答えは「全て」です。舞台美術家に必要なもの、それは好奇心です。何にでも興味を持って下さい。何かを見たときに、常に「何故?」と思う心が必要なのです。
 私の考える舞台美術の「本質」についてお話したいと思います。
舞台美術というのは、全体的に空間のあり方が先にあるのであって、個々の形から劇的空間が造られるのではなく、個々の形態の真実から醸し出されるものです。背景を作ることだけが舞台美術家の仕事ではありません。戯曲の本質を読み取ることも大事な仕事だと先ほど言いました。つまり舞台美術家
には、劇的な空間というのは何なのか、また、舞台上の空間ということで一つの宇宙を作ることが出来るか、というふうにまずは考えて欲しいと思います。
 舞台装置とは、「最もふさわしいお膳立て」でなければいけません。それはつまり、上演にとって最もふさわしい空間の造形であり、それを作り出すためには手段を選びません。それはつまり、何にでも好奇心を持ち、見て、喜んで欲しいということにつながります。
上演にとって最もふさわしい空間の造形というのは、モノがなくてもOKな場合もあるのです。例えば丑三つ時を表現する時。おばけが出てきそうな舞台を作ると考えてみましょう。柳の木、生暖かい風、鐘の音…。「最もふさわしいお膳立て」と考えたら、装置はいらないこともあるのです。まずは、「何もない」ということが、お膳立てとしてふさわしいか、ということから考えて欲しいと思います。
 最後に、舞台美術家の仕事に必要な力ですが、大きく四つに分かれます。全体的な構成力・独創性・観察力・色彩感覚の4つです。芝居と離れてこれらを考えても意味がありません。装置が変わっていても場面が変わっていないことがよくあります。それはお膳立てとして意味がありません。みなさんには、今後舞台を創っていく上で、どういうお膳立てとしてこの装置は必要なのか、どういう一つのテーマに沿った空間を作り上げていくか、考えて欲しいと思います。  (文責 齋藤 絵里)

第四分科会 生 徒 講 評
 全体講評として出た意見では、女性優位の脚本が多いのて゛男性陣の活躍にも今後期待するというものや、役者をもっと活かし、観客との会話を楽しむことも重要であるという声があった。また、全体的に不作が多く、役者が未熟であり、これが本当に全国大会なのかというものや、もっと芝居をしっかり見せてほしいという意見もあった。しかし、お金を出せばプロのうまい芝居はいくらでも見られるが、下手な役者というものは高校演劇でしか見られない。唾を飛ばし、汗をまき散らし、声がかすれるまで死にものぐるいで演技をする姿。そんな未熟な高校生の芝居の中にも、価値はあるはずであるという意見もあった。以下に各上演校に関しての意見をまとめる。
      *
「北海道伊達緑丘高等学校」
りんごの木を擬人化したことによって、人間の成長が見やすく親しめる内容であった。擬人化で出会い、別れの心情が分かりやすく描かれており、見る側へ考えさせる劇に仕上がっていた。
「千葉県立薬園台高等学校」
分かりやすいストーリーで素直に受け止めることができる。ひとりひとりのキャラクターがしっかりしており、演出にもリアリティがあった。「大人の都合」、「子供の淋しさ」がよく表されていた。
「栃木県立宇都宮女子高等学校」 「女子高校生の心」がテーマで 共感できる。本当に欲しいものを最後まで言わなかったことで見る側に考えさせる演出が多くあり、とても内容の濃い作品であった。
「青森県立三本木高等学校」
斬新なアイディアがたくさん詰め込まれており、シェイクスピア作品を全く知らない高校生でも入り込みやすい作品であった。自分達がやりたいことを思う存分演じきっていた。笑いという切り口がシェイクスピア作品の堅苦しさを感じさせなかった。
「大阪市立工芸高等学校」
非常に内容が深く、日常と非日常の生活の演技の中に、数多くのメッセージが込められていた。あいまいな部分を残しつつ、演出で上手くまとめられていた。
「沖縄県立首里高等学校」
テーマが伝わりにくいという意見や、日常のひとこまを表しただけではないかという意見も出たが、詩を通して様々な捉え方、自分なりの解釈を考えさせる楽しい内容であった。すばらしい演技力で見るものを魅了した。ひとりひとりが生き生きとしている姿が印象的だった。
「香川県立丸亀高等学校」
 セリフがないシーンでも笑えた。次はどうなるのだろうという期待感がとぎれない芝居であった。高校生の等身大の姿が「恋愛」、「友情」をテーマにユーモアを交えて描かれていた。キャストの個性に合わせた間の取り方も絶妙で、しっかりとした劇に仕上がっていた。
「島根県立松江工業高等学校」
 演出が効果的に行われていた。生きることのすばらしさについて丹念に描かれていた反面、死というテーマの掘り下げが多少甘かったのではという意見もあった。しかし「生と死」という重いテーマを高校生が自分達に近づけて見られるよう工夫された作品であった。
「北陸学園北陸高等学校」
 立ち位置で人間関係が分かる。内容に富んでいて、家族や友情など掘り下げて描かれていた。見ていて心が温まり、登場人物達の成長を見守っているような印象を抱かせる作品であった。場面転換がスムーズでよかった。
「三重県立四日市西高等学校」
 自分をダブらせて見ることのできる共感できる作品であった。セットも雰囲気が出ていた。商売に必要なものを人の人生に例えていた部分が非常によく、次から次へと起こるハプニングを乗り切る姿に、頑張ろうと思う気持ちが湧いた。
「山梨県立身延高等学校」
 暗転が少なく素直に見ることができた。缶蹴りで時代の流れを感じ、葉っぱでの演出の効果も絶妙だった。音楽が芝居の中でとても重要な要素となっており、場面に合った音楽がきちんと選択されていた。(文責  福井商業高校  山田 理衣)